5月20日号紙面:森島豊氏講演 東久留米キリスト者九条の会 王に勝る存在知る教会にこそ使命 教会形成から社会形成へ
2018年05月20日号 01面
4月30日、東久留米キリスト者九条の会は、特別講演会「人権と憲法の危機(人権危機時代におけるキリスト者の使命)」を、東京・東久留米市内で開催した。講師は青山学院大学准教授で大学宗教主任の森島豊氏。氏の論文は、中外日報社主催第11回「涙骨賞」最優秀賞を受賞し、『人権思想とキリスト教』(教文館)として出版されている。講演では、自民党の「日本国憲法改正草案」(改憲草案)に見られる人権規定の問題点を指摘し、人権思想の根拠、由来を歴史的に確認した上で、今キリスト者が果たすべき使命について語った。【髙橋昌彦】
講演冒頭で森島氏は、今日本で何が問題なのかと問うて、2つの事柄を指摘した。1つは自民党の改憲草案では、基本的人権の本質を定める現行憲法の97条がすべて削除されていること。削除の理由として自民党の「Q&A(増補版)」は、基本的人権の享有を定めた「現行憲法11条と重複している」ためとするが、「Q&A」はさらに、「国民の権利義務」の説明で、現行憲法の人権規定が西欧の天賦人権説に基づくものだとして「人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要がある」と考え、「新しい人権」として「国を主語とした人権規定」としたとする。森島氏はそこに、西欧の天賦人権に与えたキリスト教の影響の削除と天皇神権を基準とする明治憲法への回帰を読み取り、草案に関わった自民党議員の発言からその事実を実証して、次のように言う。「人権の歴史には宗教的要素があることを、政治家はその嗅覚で見抜いている」。もう1つは、今回の集会の重要性。昨年施行された「日本国憲法の改正手続きに関する法律」は、憲法改正の国民投票が国会で決議された後の、組織的な憲法改正に関わる活動を制限している。この様な集会は今しか出来ないことになる。
その「危機」の中で人権を考えるにあたって、森島氏はまず「キリスト教的人間観」について語り、神の天地創造は「慰めに満ちている」と言う。自然も、生き物も、すべての存在は、それが存在できる場所が確保されてからそこに置かれた。海の生き物は海が確保されてから、草も木も地ができてから、全ての環境が整ってから創造された。そして人は、最初から男と女に、他者と存在するように、創造された。自分とは違う存在がすでに前提とされており、違いを排除しない。それを神は良しとされる。人が存在するのは、神が存在する事を求められたからである。
このように神に愛されている存在である人間を、他の人間が排除、抑圧するなど、その本来あるべき扱いをしない動きが歴史的に起こってきたとき、「抵抗権と人権理念」、抵抗する、生きる権利を持とうという考え方が生まれてくる。その発端は宗教改革。人びとは聖書に従うことと、神が制定された王に従うことを求められた。けれども、王も神が制定された存在であるから、神に従わなければならない。王が神に従わず、聖書の教えに反することをしたら、キリスト者はそれに抵抗しなければならない。王の上にある存在、神を根拠にして王に対して抵抗する権利があることをプロテスタント教会は主張した。
この抵抗権に支えられて人権という考え方が生まれて来た。イギリスにおけるピューリタン運動は、大陸の宗教改革を徹底させようとした運動であり、彼らを弾圧する国教会に対して、自由な集会を求め、それが信教の自由を求める運動に変化していく。その中で、宗教の自由、兵役の拒否、言論の自由などが明記された憲法案ができ、その影響がアメリカに渡り、独立宣言へとつながっていく。その影響の下、植木枝盛は「日本国国憲按」を起草し、それを吉野作造から学んだ鈴木安蔵は、後にGHQが日本国憲法草案作りの土台としたとされる「憲法研究会案(憲法草案要綱)」を作成することになる。
森島氏はこれらを踏まえて「日本国憲法の中に、キリスト教の人権思想、福音運動が潜在的に影響を与えている」とした上で、日本の「人権形成の課題と克服」として次のように語った。
「日本の弱点は、抵抗権の思想的根拠がないこと。王よりも上位にある存在を根拠として抵抗するのが抵抗権。そこから人権が生まれる。無宗教といわれる日本にあって、王に勝る存在の感覚を持っているのは教会であり、日本のキリスト教会の使命はそこにある。しかし、教会は社会運動の現場になるのではなく、聖書のことばによって新しくされた人間を世に送り出す場となるべき。その時、教会形成が人権形成、さらに社会形成へとつながっていく」