02筑豊
「ぼくは、筑豊との出合いが自分のあり方を決定した、と思っている」(173頁)。この一文の中に本書の内容のすべてが語られていると言ってよい。著者が筑豊に出合ったのは1961年8月のことである。当時は敗戦後の日本の復興を支えてきた石炭産業の行き詰まりと石油エネルギーへの転換の時期であり、「筑豊の子どもを守る会」のキャラバンに加わっての「出合い」であった。

 筑豊に居を据えて「現場」に生きる著者がしたたかに知らされたことは、キリスト教会そのものが資本主義の発想と支配の下に置かれており、イエスの福音とはほど遠い実態の中にあることであった。石炭産業の衰退とともに教会もその流れに押し流されていき、自己保存の営みに終始せざるを得ない事態に直面したのである。

 著者が福吉伝道所を拠点として40年の働きを続け得たのは、一つには服部団次郎牧師や上野英信牧師の闘いのモデルに出会ったこと、二つにはカネミ油症の痛みを負い、座り込みを続ける紙野柳蔵氏をはじめ、公害と差別と格差の重圧に苦しむ民衆との出会いであった。この出会いこそイエスとの出会いにほかならない。

 本書はいわゆる教会の社会参与をすすめるというようなことをテーマにしてはいない。むしろ本書は新しい教会論の書である。「教会は確かに筑豊に立っていたが、教会の中に筑豊はあったのだろうか」(132頁)、「教会はどこに立っているのか」という問いが全書を貫いている。

   「現場」とは筑豊だけではない。

孤独と差別と格差に苦しむ民衆との関わりこそが「現場」である。その「現場」のない教会とは教会なのだろうか。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」(ヨハネ1・14)の句に本当に聴くとき、教会はつねに新たにされて「現場」に生きる教会となるであろう。その証言が本書である。

評・関田寛雄=日本基督教団神奈川教区巡回教師

『「筑豊」に出合い、イエスと出会う』
犬養光博著 いのちのことば社 1,728円税込  B6判

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