福音の熱意でとりなす 架け橋〜第10回東アジア青年キリスト者大会③

 3泊4日の第10回東アジア青年キリスト者大会では、朝に約1時間の静まりの時間(デボーション)があり、部屋ごとに聖書を読み、学んだことを話し合った。今回は「他民族の架け橋となった信仰」としてルツ記を学んだ。「愛ゆえの決断」「従順から見える神の慰め」「神の救いの働きの一部となった」が各回のテーマになった。記者と同室には、日本へ来た中国人留学生、在日コリアン2世、日本語を学ぶ中国系学生などがいた。外国の地で信仰をもったこと、日本で生きる意味、差別やアイデンティティーの葛藤、複数の言語を使える意味などをそれぞれ分かち合い、互いのために祈った。

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2日目夜のメッセージは魯ハクヒさん(単立・綾瀬東部教会牧師)。架け橋となった人物としてモーセについて語った。出エジプト32章9〜14節で、偶像崇拝の罪を犯した民に対して、モーセが神になだめの言葉を語った場面だ。「神様は民にくだす災いを思い直された。モーセは神様と民の架け橋になった」

 モーセの特徴として、①失敗を経験した、②主なる神様を正しく知っていた、③犠牲を担った、という3点を挙げた。

 ①について、「ほとんどの失敗は自分の力を信じて行動することからくる。失敗は有意義だ。もっとも有意義なのは謙遜になること」と述べた。「モーセにとって、王女の子として育ったエジプトでの40年は高慢に満ちた期間だった。エジプトから逃亡して後の荒野の40年で高慢が削ぎ落とされた。自分の力、知恵でどうにもならないこと、主の力が自分の支え、主だけがすべてとなります」

 ②について、モーセが、神がアブラハムとの約束を覚えていたこと(13節)に注目。「神様を正しく知っていると思っていても実際の生活を通してそれが試される。モーセの時、人々は金の子牛を作って拝んだ。神様を信じると言いながら、目に見えるものを追っていないか。自分の欲望を満たす手段として神様を利用していないか」と問いかけた。

 ③について、「モーセはエジプトの王女の子として世界的な成功が可能だった。だがヘブル書11章にあるように、永遠のもののために一時的なものを捨てた。

 さらにモーセは、民の赦しのために、いのちの書から自分の名を消し去ってもいい(出エジプト32章32節参照)とまで言った。その犠牲をしてまでもイスラエルへの思いがあった」と紹介。「人間は大変な状況の中、難しい状況の中でこそためされる。大変な時ほど自己中心の選択をする。利他的な選択は少ない。強盗に襲われた人を助けたのは、祭司長でもレビ人でもありませんでした」

 最後に愛の犠牲を示した2人の宣教師について紹介した。

 一人目は乗松雅休。朝鮮王朝の閔(ミン)王妃が日本軍に暗殺された事件の翌年の1896年に、朝鮮への謝罪の気持ちをもって宣教師として赴任した。当時の朝鮮人からは、罵られ、蔑まれながらテント暮らしをし、貧しい人や孤児に食べ物を与えた。同地で20年近く宣教し、病気になり、日本に戻ったが「骨は朝鮮に埋めて欲しい」と願い、現在も韓国に記念碑が残る。「36の教会を建て、自分の子どもたちには朝鮮語しか教えなかったほどに現地での宣教を徹底していた。日本と朝鮮の架け橋の役目を担った人」と話した。

 二人目はアメリカ人女性宣教師ルービー・ケンドリック。25歳で朝鮮宣教に出かけ、看護の働きをしながら伝道した。だが急性虫垂炎のため9か月で亡くなってしまう。死の前に、母国の青年たちへ送った手紙が、集会で読まれ、多くの青年の心に火がつき、20人の宣教志願者が起きた。

 魯さんは、「私の熱意は、主なる神の熱意」というケンドリックの手紙の言葉を引用し、「これが福音の熱意ではないか。イエスの犠牲にならい、その通りに生きる姿ではないか」と述べて東アジアの青年たちを励ました。