抵抗権、人権深めれば対話生む 森島豊著『抵抗権と人権の思想史 欧米型と天皇型の攻防』 評 上中栄=日本ホーリネス教団旗の台教会牧師

『抵抗権と人権の思想史 欧米型と天皇型の攻防』 森島豊著、教文館、3,300円税込、A5判

 本書の著者森島豊氏の講演は、メチャメチャおもしろい。それは、「人を笑わせてなんぼ」という、大阪系の卓越した話術による部分もあるが、聞いている者が何か「思い当たる節」があると気付くからだろう。

 日本人の大多数は、日本は欧米各国と並ぶ先進国であり、人権を尊重する民主主義の国だと思っている。日本のキリスト者もそうだ。それなのに、キリスト教が広まらないのはなぜか。「思い当たる節」とはこれだ。その原因は、伝道の熱意といった根性論ばかりでなく、宣教学や社会学など学問的にも探求されてきた。 本書もそうした課題と無関係ではないが、安直な答え探しの本ではない。思想史という観点から抵抗権と人権を鍵語として、日本をいわば「神学する」ものと言える。かつて、『日本の神学』(古屋安雄・大木英夫共著、ヨルダン社、1989年)という本があったことを思い出したが、その問題意識が本書の伏線になっているようだ。

 本書の前半では、人権という理念が欧米のキリスト教社会の中で形成され、それは日本国憲法にも影響を与えていることを歴史的にたどる。後半は、日本では抵抗権が巧みに退けられ、人権や平等といった言葉が、日本独特の概念で再構築されていることを、多くの資料をもとに丁寧に論じている。

 つまり、人権や民主主義といった欧米各国と同じ言葉を使いながら、その意味内容が異なるということになる。特に、欧米で形成された人権の理念は、本来宗教的(=キリスト教的)な要素を持っているという。しかし、日本はそれを認めずに形だけを模倣してきた。日本のキリスト教界も、人権思想が持つ宗教的要素に関心がない。信教の自由や天皇制の問題のように、人権や民主主義に関する事柄は、信仰とは別の教会外の問題として扱われるのはそのためであろう、、、、、

2020年5月3日号「憲法特集」に掲載