大人の世界が子に反映する 「本屋」の存在意義⑧

ナルニア国

 本連載第3回までに紹介した、「ヘイト本」についての連続セミナーの主催をしたのは「教文館子どもの本のみせ ナルニア国」。訪問した3月初旬には、親子連れがいて、小さな子が興味深げに本を眺めていた。「子どもたちがいろいろな国の絵本に触れて、理解や関心を広めるのは、人としての根底においてとても大切なことだと思う」と店長の川辺陽子さんは言う。

 棚には、社会的なテーマを扱った大人向けの本も置かれている。「子どもも社会の一員だし、私たちもその一員。特に大人がどのような考えのもとに世の中をつくっていくかが、子どもたちの世界にも反映されます」

 「ナルニア国」は「ナルニア国憲章」を作成している。そこには「だれもが楽しみ くつろげる空間」「何度も訪れたくなる空間」「穏やかで 満ちたりた空間」「こころが 自由になれる空間」「時間も国境をも 越えられる空間」とある。「ここにはヘイトの余地はないんです」と川辺さんは言う。

 この時代、本とどのように出会っていけるだろうか。「絵本が物としてあるだけでは、子どもには伝わらない。必ず大人の介在が必要。じかに大人と子どもが触れ合い、子どもが言葉に出会うことが大事です」

 そして本屋の存在意義とは。「連続セミナー主講師の永江朗さん(ライター)が話した通り、良くない本もあるけれども、本で得られる経験は、他の物で得られる経験とは違う。ナルニア国のスタッフは、それぞれの体験を通じて本の良さを確信している。そういう者たちが集っている場。その思いをお客さんと分かち合っていきたい。お客さんが本屋にあえて来るのは、新しい発見や生身の人と人とのかかわりを大事にしているからだと思う。それが本屋の場の意味だと思います」

  「今後乗り越えるべきもの」についてこう話した。

「連続セミナー2回目ゲストの武田砂鉄さん(フリーライター)が語っていた、巧妙に仕組まれたもの、『気配』とか『空気』かなと思う。子どもの世界にも無言の圧力はいろいろある。それをおかしいと思える感性を磨いていかないといけない。様々な本に触れ、社会の多様性を知ることで、周りが一つの方向に向かう時に違和感を持つ感性が自然に育つと思う。本屋が楽しい読書と考える読書の両方の経験を提供できればと思います」

 コロナ禍で4月8日から5月26日まで休業した。「ナルニア国は細々とSNS上で本の紹介をしていたが、少なからぬお客様から注文をいただいた。このような緊急事態宣言下でのやり取りを通じて、食糧や医薬品と同様に本も人々の暮らしに必要とされていることを実感した。本に限らず文化全般(音楽や芸術、演劇なども含め)にも言えることだと思う。文化は決して平時の贅沢(ぜいたく)品ではなく日々の暮らしに必要不可欠なものであることをこの自粛生活の中で逆に知ることができた気がします」   §   §

渡部氏

 米国メソジスト教会の宣教師らの文書伝道の働きとして1885年に始まった教文館は、日本有数の歴史をもつ書店として、一般書店とキリスト教書店をつなぐ存在だ。渡部満社長は、全国の新刊書店で構成される日本書店商業連合会の副会長でもある。「新しい小さな書店の動きはあるが、それは大きなうねりとは言えない。話題がやめば人が来なくなるのではないか。持続するのは大変だ」と不安視。「大型チェーン店と新しい小さな書店の動きに二極化している。中規模以下のまちの書店はほとんど経営が成り立っていない。まちの書店は教科書販売、図書館納入などで何とか続けているが、図書館にも専門の業者が入り、まちの本屋が排除されることが起きている」「個人事業だと、後継ぎがいない。そのため廃業する本屋が増えている。アマゾンなどオンラインショップでも、ドライバー不足、運送料の高騰など課題がある。書店のマージンを増やそうという動きもあるが、独禁法で規制が厳しいというジレンマがある。どの業態も楽とは言えない」と書店業界を概観した。

 「本屋は読者が本に出会うチャンスを与える。しかし本が存在しないと本屋は存在しない。聖書も本。細分化された聖句の集まりではない。モバイルの聖書でもいいが、つまみぐいではなく全体を読まないと意味がない。キリスト教書店は聖書がなぜ必要か、から考えないといけない」と話す。次回も続けて話を聞く。(つづく)【高橋良知