「行動」と独自の課題設定 公共、芸術を考える 「不自由」とコモンズ(共有地[知])への応答⑦

 哲学者の小川仁志氏は、公共性の議論を3段階に整理。それは①手続き・議論、②批判、③行動だ。「従来の公共哲学が行動の要素を欠いていた」として「公共性主義」を主張。小川氏の「公共性主義」とは、公共哲学そのものを実践としてとらえ、思考、議論、実践の段階が分かれていないものだ『公共性主義とは何か 〈である〉哲学から〈する〉哲学へ』教育評論社、2019

 小川氏の言う「行動」とは、何か問題があったときにはじめて応答するものではなく、より能動的な「働きかける公共圏」にかかわる。この「行動」の動機として参考にするのは、米国の哲学者コーネル・ウェスト氏だ。黒人教会を背景にし、人種差別にとりくみ、自由市場原理主義、攻撃的軍事姿勢、権威主義を批判してきた人物だ。ウェスト氏の提唱する「預言的プラグマティズム」には、「ソクラテス的な問いかけ」、「預言的な証言」、「悲喜劇的な希望のプロセス」といった内容がある。小川氏は、それらを批判的精神、倫理観、感受性、と捉えて「公共性主義」を推し進める。

 感受性については、本連載の契機となったあいちトリエンナーレ2019(あいトリ19)のテーマ「情の時代」の問題意識と重なる。小川氏は「感情を共有することではじめて、集団で行動を起こすきっかけを持つことができる」と言う。ただ感情による行動には両面性がある。昨今のSNS上の政治発言とバッシングの問題を思い起こせばいいだろう。それは「感情共同体」と「感情公共性」の違いだ。

「感情共同体」は「単に同調する感情しか受け付けず、それ以外の感情はそれを抱く人と共に排除」する。ここには人々の感情を飼いならす「感情資本主義」や権力もかかわる。一方「感情公共性」は「それぞれの感情経験が異なることを認めたうえで、皆に共通する問題を話し合って解決」する。あいトリ19で言えば、「『情』(感情や情報)を『情』(情けや憐れみ)で飼いならす」(同コンセプト文参照)ことと通じる。

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 神学者のスタンリー・ハワーワス氏は、教会の内向きを批判しつつも、行動主義には警戒する。「保守的な教会もリベラルな教会も、つまりパブリック・チャーチと呼ばれる教会もプライベート・チャーチと呼ばれる教会も、基本的には、社会倫理において妥協主義的(つまりコンスタンティヌス的)だ」(『旅する神の民 −「キリスト教国アメリカ」への挑戦状』ウィリアム・H.ウィリモンと共著、東方敬信訳、教文館、1999、写真①)と言う。それは「アメリカ社会における教会の最優先課題が、アメリカ民主主義を保証していくことだと誤認」しているからだ。これはキリスト教会の影響が大きいアメリカ社会の文脈もある。

 神学者ハワード・ヨーダー氏による「回心主義教会」「行動主義教会」「告白する教会」の分類をふまえて、ハワーワス氏は「告白する教会」を評価する。、、、、、

2020年6月7日号掲載記事