「もう先生とお会いすることはありませんから!」と言われた病院牧師(チャプレン)は、その患者さんと関わり続け、2人はやがて天国での再会を約束する(66頁)。

この本は、病む人、死を前にした患者さんたちに約30年寄り添ってこられた病院牧師が、その豊富な体験の中から、死を前にした人との関わりに際して大切なことをまとめたもの。

死もまた人生の一部。人生が与えられたものであると了解し、手放し、神のものとしてもう一度新たに受け取り直す心の作業が人を人生の肯定に導く(180頁)。牧会者は、その死を前にした人の歩みに寄り添う。

死を前にした人は新たな価値観で病気を受け入れようとしているが、私たちは一般的な価値観(健康、経済的豊かさ、社会貢献度など)にしばられがちだ。

私たちが誰かと関わろうとするとき、相手に変化を望んでしまうことがある。すると、相手が自分の思い描く姿に近づけないことに不満がつのり、寄り添うことが難しくなる。

私たちは苦しむ人の傍らにいようと願うことはできるが、人の心の苦しみをすべて理解することはできない。その限界を認めるところから「あなたのことがちゃんと理解できない私ですけれど、最期までそばにいさせてもらっていいでしょうか」という言葉が生まれる(37頁)。

人生に意味を感じられない苦しみを著者は「たましいの痛み(スピリチュアルペイン)」と呼ぶ。それは「なぜ病気になったのか」「なぜ苦しむのか」という問いの形で現れる。この問いに客観的な答えはない。その人自身が見いだしてこそ真実な答えとなる(20頁)。

そのとき、そこに寄り添ってくれる人がいることは大きな支えとなる。死を前にした人と関わるには、関わりきる覚悟が大切だと著者は言う(151頁)。関わることの目的は寄り添うこと(33頁)。それは何もできなくても、共にいること。

牧師に限らず、寄り添うということに思い悩んでいる人に読んでいただきたい一冊。
(評・三村修=日本基督教団佐渡教会牧師)

『たましいの安らぎ 病院チャプレンの歩みより』
藤井理恵著、いのちのことば社 1,540円税込、B6判


書籍で振り返る3・11

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