私の3.11~10年目の証し 第三部 序 “2020”の足踏み

私は10年前の3月11日、JR常磐線を北上して福島県いわき市で下車し、夜には仙台市へ向かうはずだった。震災後いわきまでは、何度も往復したが、そこから北へ電車では行けなかった。常磐線が全線開通したのは2020年のことだ。
本連載第三部以降は、私と当時私が出会った人たちを中心に、それぞれの「私の3・11」を振り返ることになる。ただ、その前に「序」として、今年1月に福島を訪れた際のことをもう少し記しておきたい。 【高橋良知】

▼2021年1月9日 

戻ることも、進むこともできない。足踏み状態の2020年をいまだ引きずっている感がある。「東京2020」(オリンピック・パラリンピック)の開催も不透明となり、目の前の生活、仕事へのパンデミックの影響は大きい。東日本大震災の記憶を一気に忘却の彼方に押しやるほどだ。
コロナ禍のため、東北への現地訪問は制限されたが、福島県南相馬市での取材が可能になった。上野駅発の特急は朝7時に出発する。その前に立ち寄りたいところがあり、「公園口」を出た。


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小説『JR上野駅公園口』(柳美里著、河出書房新社=写真左=)は、2020年に全米図書賞翻訳文学部門を受賞した作品だ。主人公は南相馬市出身で、上野恩賜公園で路上生活をする。天皇(現上皇)と同い年であり、1964年のオリンピックの記憶や、2020年のオリンピックを予感させる描写もある。刊行は14年だったが、このような設定もあり、受賞を機に昨年改めて注目された。

朝焼けの中、リヤカーにレジャーシートや段ボールを載せて、とぼとぼ移動する人の姿があった。上野公園のホームレスには東北出身の集団就職者や元出稼ぎが多いという。福島県沿岸では、福島第一原発が誘致される前は「一家の父親や息子たちが出稼ぎに行かなければ生計が成り立たない貧しい家庭が多かった」(『JR上野駅公園口』単行本版 あとがき)。

写真=上野公園の「時忘れじの塔」

公園には幕末から戦後にかけての様々な記念碑がある。小説は公園の描写と主人公の回想を通して、戦後、さらには近代の日本の一断面を見せる。
柳さんは震災後、南相馬市とかかわり、移住し、書店「フルハウス」を開いた。2020年は柳さん個人にとっても大きな変化があった。同年4月にカトリック教会で受洗したのだ。その信仰告白の詳細は『文藝』2020年秋号に詳しい。最新の『現代詩手帖』2021年4月号では、「三月十一日以降、わたしは自分の意志や欲望に従って行動しているのではなく、その時々の状況や要請や縁に引き寄せられ、むしろ積極的に流されています。流れに従った先に受洗があった」と語る。

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いわき駅で普通列車に乗り換えた。残念ながら「フルハウス」の年明けの開店は1月12日からだったので、もう一つ気になっていた場所に行くことにした。昨年9月にオープンした双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館だ。

双葉駅西側の土地には黒いフレコンバッグが重ねられていた。東側には商店や家屋が残っているが、壁が傾いたままで人けがない。伝承館そばの沿岸には、がれきが残っていた。復興祈念公園が整備されている。南側には汚染土などの中間貯蔵施設が広がり、4キロ先に原発がある。

伝承館では、原発誘致前の町や、地震・原発事故発生時の様子、復興への取り組みなどを、パネルや物品、模型、映像によって紹介していた。毎日語り部が講話をしている。

ただ語り部は「特定の団体」を批判しないよう求められていたり、展示内容も責任問題など、訴訟などで問われている問題への言及は薄い印象だ。「教訓の視点が足りない」といった市民側からの訴えもあり、展示替えが進む。双葉町に掲げられ、「原子力神話」の負の歴史を象徴した「原子力明るい未来のエネルギー」のパネルも展示されるようになった。伝承館は多くの子どもたちの社会科見学の場にもなる。震災の記憶を持つものが声を上げるとともに、伝承館にない視点もどこかで伝え続けていくことが、未来世代にとっての責任となるだろう。

▼2021年1月11日

南相馬市での取材が終わり、いわきへ南下する。(つづく)