コロナの時代に聖書を読む《前編》明野キリスト教会牧師 大頭眞一

人びとはコロナについて何を教えているでしょうか

コロナ禍への三つの対応があります。
①ある人びとは、「コロナは神のさばきだ! 悔い改めよ」と言います。けれども、コロナは世界をおおっています。だれの、どんな罪に対するさばきなのか、不明です。いたずらに人びとを不安にさせるやり方は、福音の本質であるいのちと喜びをくもらせます。

②ある人びとは、「世界の終わりは近い。再臨は近い」と言います。けれども、主イエスは「ですから、目を覚ましていなさい。その日、その時をあなたがたは知らないのですから」(マタイ25・13)と言いました。いたずらにあわてることなく、地に足をつけて、愛をもって行動し、福音を生きることがたいせつです。

③ある人びとは、「これは陰謀だ」と言います。陰謀をたくらんだとされるのは、ユダヤ人だったり、アメリカ人だったり、中国人だったりします。そうやってたがいを非難し合い、協力できないでいるのです。けれども、陰謀説は世界に分断をもたらします。歴史の中で何度も繰り返されてきた愚行です。コロナの中で協力し合うなら、世界は変えられていくのに、そのチャンスを見のがしてしまい、神さまを悲しませてしまうのです。

 

聖書はコロナについて何を教えているでしょうか


ヨハネの福音書9・1〜3「さて、イエスは通りすがりに、生まれたときから目の見えない人をご覧になった。弟子たちはイエスに尋ねた。『先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。』イエスは答えられた。『この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。』」

主イエスは、「なぜ、この人が盲目で生まれたのか?」という人びとの質問には答えていません。原因については語らないのです。日本では十年前に東日本大震災がありました。中国や韓国でも去年、台風・洪水・土砂災害など多くの災害がありました。

こんなとき、私たちは「どうしてですか?」と質問します。けれども、主イエスはそんな質問には、直接には答えません。生まれながらの盲目の人についても「この人に神のわざが現れるためです」と言いました。この人が盲目であることの原因には触れないで、今、ここで、神さまが現そうとしているわざ、恵みに目を向けさせようとしたのです。

今、コロナの中で神さまはどんなわざを、恵みを、栄光を現されるのでしょうか。
A 医療従事者や、政治家、官僚、公務員などの人びとが、愛と配慮と責任をもって、コロナ感染を防ぎ、コロナになった人びとの回復を助けることによって、神さまのわざが現れる。クリスチャンであることによって、私たちはよりよく役割を果たすことができる。けれども、もし、これらの人びとが神さまの願いとは逆に行動し、愛と配慮と責任を放棄するなら、神のわざは現れず、世界は悲惨なことになっていく。世界には三つの破れがある。神と人との関係の破れ、人と人との関係の破れ、人と人以外の被造物との関係の破れ。三つの破れがもっとひどくなってしまう。

B 一般市民が、愛と配慮と責任をもって、医療従事者たちを支え、外出を自粛し、マスクや手洗いをキチンとすることによって、神のわざが現れる。クリスチャンであることによって、私たちはよりよく役割を果たすことができる。けれども、もし、一般市民が神さまの願いとは逆に行動し、愛と配慮と責任を放棄するなら、神のわざは現れず、世界は悲惨なことになっていく。自分とまわりの人びとの健康に配慮せず、医療従事者を差別するようなことは、神さまを悲しませる。

C 異なる国ぐに、異なる人種、異なる社会的グループに属する人びとが、愛と配慮と責任をもって、コロナの感染対策や治療手段、予防手段で協力し合うことによって、神のわざが現れる。クリスチャンであることによって、私たちはよりよく役割を果たすことができる。けれども、もし、私たちが、愛と配慮と責任をもって協力しないで、自分のことだけを考えるならば、世界の弱い部分が苦しむことになる。たとえば難民キャンプでのコロナ流行など。

D 世界の国ぐにが、コロナをきっかけに世界の分断を解消するために、愛と配慮と責任をもって、動き始めることができれば、神のわざが現れる。クリスチャンであることによって、私たちはよりよく役割を果たすことができる。けれども、もし、世界の国ぐにが、愛と配慮と責任をもって協力しないで、分断を拡大させるならば、世界は悲惨なことになっていく。

クリスチャンであることによって、私たちはよりよく役割を果たすことができる。そう繰り返してきました。その理由は、私たちが神の子とされているからです。神の心を知る人だからです。主イエスの十字架と復活が、私たちを神の子としました。それを喜びましょう。(つづく)