映画「のさりの島」山本達也監督に聞くーードキドキしつつ決めた台詞 宗教は「まやかしたい…」
熊本弁「のさり」には、幸いなことも不幸であっても、いま在るすべてのことは天からの授かりものとして引き受けるという意味もある。そうした精神風土を想起させる潜伏キリシタンの島・天草を舞台に撮られた京都芸術大学 “北白川派” プロジェクト作品「のさりの島」が5月末から劇場公開される。“北白川派”とは、京都芸術大学映画学科の学生とプロの映画スタッフが協働で劇場公開作品を作るプロジェクトで本作が第七作目にあたる。“北白川派”第三弾作品「カミハテ商店」(2012年)に次いで本作の脚本・監督を担った山本達也監督(同大学映画学科教授)に話しを聞いた。【遠山清一】
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着想の起こりは
佐村河内 守事件
ーー“北白川派”第三弾作品の「カミハテ商店」は、当時3万人を超える自殺者が社会問題になっていた時期に映画学科の2人の学生たちが提出したシナリオを原案として山本監督と脚本家の水上竜士さんが人間の“生と死”の意味を問い掛ける作品として脚本を仕上げたものでしたね。今回の作品は、監督のオリジナルの脚本ですか。
山本監督 はい、オリジナルの脚本です。前回は「学生の企画が良かったからだ」とか言われて、しゃくにさわったと言うか…(笑)。今回は、「オリジナルで脚本書いてやるぞ」と…(笑)。
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ーー今回の作品では、オレオレ詐欺の若い男とおばあちゃんの嘘から真実のようなストーリー展開だが、なにかきっかけになることはありましたか。
山本監督 もともとは2014年に雑誌がスクープした佐村河内事件に、違和感を持ったことです。聴覚障害をもつ佐村河内 守さんが作曲した楽曲に感動していた人たちが、実はゴーストライターがいたというスクープ記事に、嘘だったのかと怒りだしたわけですが、ちょっと不思議な感じを抱きました。
情報というものを○か×かで捉えて、○だとみんなそっちへ行き、×だとけしからんとか、そういうものをあの事件から感じられた。みんなもっと自分の世界というものを信じて、人が何と言おうと自分が一時でも感動したのであれば、それが仮に嘘だったとしても「まぁ何かいい夢をみさせてもらったよ」ぐらいでいいんじゃないかな。なにか、人間が五感で感じるものに対して、ものすごく退化しているというか、なんか感覚を失っている。全て“これだ”というが、じゃぁ“嘘”ってなに。そこを考えてみる映画を作りたかったのがスタートでした。
艶子ばあちゃん役・原知佐子の
遺作になった作品
ーーオレオレ詐欺の男を孫の将太として面倒見る楽器店の山西艶子ばあちゃん役・原知佐子は、この作品が遺作になりました。かかし祭りの人形作りを指導する能面師・碓井役の柄本明や﨑津の漁師役・外波山文明らなどベテラン俳優が印象に残りました。また、オープニングロールやでジャジーなブルースハープの演奏もコミカルな要素のある展開にミステリアスなムードを醸し出していて功を奏していました。キャスティングやアーティストはどのように決めて行ったのですか。
山本監督 正直、(学生とプロのプリジェクトなので)製作費が潤沢にあるわけではないので、俳優を選ぶ選択肢と言えるはずもないし、キャスティングを断られるのが一番きついです。それだけに主役の藤原季節さんやベテランの柄本明さん、外波山さんたちのスケジュールがはまって出演してくださったのは本当に感謝なことです。
原さんは、高橋伴明監督が「原知佐子というのは、気持ちのいい女優だったぞ」とポロッと漏らしたので、電話して初めてお会いした女優さんです。80歳過ぎの女優さんで真冬に天草ロケに来てくださる方ってそうそういらっしゃらないですが、引き受けてくださった。本編の大野久美子役でブルースハープを演奏している小倉綾乃は、数年前に学生の卒業作品で演奏していた人(当時は高校生)でいつか使ってみたいとずっと思っていました。(本作でも)キャスティングには苦労しましたけれど、どの人も輝いていない人はいないなっという意味では、ありがたかったです。
天草を舞台にして潜伏キリシタンの郷・
﨑津と宗教の扱いにもっとも悩んだ
ーー本作は潜伏キリシタンの島・天草ですが、“のさり”の精神風土というか、心意気のような生き様が能面師の碓井さんや山西楽器店の艶子ばあちゃんの在り様に顕れているように感じられました。潜伏キリシタンの歩みは、日本でのキリスト教の土着とか受容ともかかわるテーマですが、監督は、そうした信仰との関係を本作でどのように捉えようとしましたか。
山本監督 本作で一番、扱いに悩んだのは﨑津(集落とキリスト教)のことでした。ただ、多くの日本人にとってキリスト教が出てくるだけで回心したとか懺悔したとかに短絡的に結びつけるのではないか懸念しました。回心とか懺悔というもの地体、そんな浅いものではないし、たかだか2時間ほどの映画のなかでオレオレ詐欺の男が、艶子ばあちゃんと出会って回心したり懺悔したりした瞬間に、僕はこの映画が壊れちゃうと思ったんです。オレオレ詐欺男が、そういうことに気づかされるのはこの物語が終わった後の話でしょう。
ーー本編の終わりの方で、信仰というか宗教について刺激的な表現のセリフを書いていますね。
山本監督 このキリスト教というものをどう入れたらいいか、すごく悩んだんです。(結局)最後まで入れられませんでしたが…。そういうなかで(プロデューサーの)小山薫堂さんが、人間国宝級の方が作った焼き物を見て感動していたら、その方が、「いや薫堂さん、所詮まやかしだから…」と言ったそうです。その話しを聴いたときに僕は、“まやかし”とか嘘とか、日本語としてはあまりいい意味では使われないですけれども、人生って平坦なものでもないし、でこぼこだったりするなかで、嘘があるから救われたりとか、“まやかし”だとは分かっていても、自分の人生の中ではそういうものが必要な瞬間ってあるのでは。僕は宗教とは、実はそういう広い寛容を含んだ言葉ものだなぁと思うんです。それが(漁師役の)外波山さんに「まやかしったい。人には必要な時があっど(ある)」という台詞で語らせています。宗教って受け入れるっていうことなんだから、表層的にまやかしって僕は言っているわけじゃないし…。でも、これは僕もちょっと賭けでして、この映画の中の台詞で一番ドキドキしながら書きました。当然、受け止め方はみなさんそれぞれにあると思いますので、宗教を“まやかし”とは、けしからんという方はおられるかもしれないと思っています。
ーーあのシークエンスでは、漁師さんがマリア像に拝礼してからオレオレ詐欺の男に岬に立つマリア像を見せていますから、分かる人には(短絡的な意味で言っていないことは)通じるかもしれないですね。天草の精神文化ともいえる“のさり”の想いが伝わるといいですね。ありがとうございました。
【映画「のさりの島」】 2020年/日本/129分/映倫:G/ 配給:北白川派 2021年5月29日[土]よりユーロスペースほか全国順次公開。
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