聖化論の受容を批判的に検証 福音主義神学会西部オンライン開催で藤本氏

日本福音主義神学会西部部会の2021年度春季研究会議が5月24日にオンライン開催された。昨春の研究会議はコロナ禍の拡大で中止となり、昨年11月に大阪で予定されていた全国研究会議も今秋に延期された。今回の研究会議は、秋の全国研究会議に向けて、内容・運営の両面での準備の意味合いをもつものでもあった。全国各地からのZoomによる約130人の参加があり、YouTubeによるアーカイブ配信の視聴者もすでに300人を超えている(6月1日)。その概要を報告する。【山口暁生】

基調講演は、藤本満氏(インマヌエル高津キリスト教会牧師)による「キリスト者の完全について」。言うまでもなく、1763年に刊行された『キリスト者の完全』はジョン・ウェスレーの神学の基軸をなす主著の書名であり、藤本氏はその日本語版の訳者でもある。

藤本氏はまず『キリスト者の完全』に見られるジョン・ウェスレーの聖化論の形成に大きな影響を与えた人物として、トマス・アケンピス、ジェレミー・テイラー、ウィリアム・ローの3人を挙げて、彼らを通じてもたらされた東方教会などの影響を丁寧に検証し、そうして成立した聖化論をウェスレーが救済論の中心に据えたと述べた。

やがてドイツ敬虔派であるモラビア派の指導者シュパンゲンベルグとの出会いによって、宗教改革において重要視されたような個人的な救いの確証が欠けていることに気づかされたウェスレーが、アルダスゲイト街の聖書研究会でルター派的な信仰義認を体験しつつも、そこにとどまることなく、聖化を渇望し、恵みと信仰を基点とした聖化論を再構築していくさまをたどる。そこに見られる聖化は、日常的かつ社会的なものであり、外側の行動に表されるものであった。

さらに1760年代に入り、ウェスレーの聖化論は大きな変化を見せた点に着眼。多くの信徒が体験した、まったき聖化の証しに触れ、それまで懐疑的にとらえていた瞬時的・意識的な聖化論に立脚するようになったとした。ただ、そのようなリバイバルの勢いがもたされた中で、聖霊体験が強調されるあまり人格形成が無視されるような動きが始まり、それがウェスレー以後の「ホーリネス運動」につながるとも指摘した。

その上で藤本氏は、ウェスレーの聖化論に対する批判についても検証。まず野呂芳男氏による「個人差を考慮していない」とする批判に対しては、証し中心の教えが教理に優先する危険性を指摘した上で、キリスト者の完全が同一個人においても徐々に深化するとし、試練の大切さについて述べた。

「罪を意識的なものに限定的にとらえてしまったことがウェスレーの完全論の最大の欠陥だ」とするニュートン・フリューの批判に対しては、「パリサイ主義と呼んでいる悪徳の本質は無意識の偽善」と認めた上で、メソジストの班会にも見られた霊的同伴の意義を呈示した。最後に「完全論と信仰の勝利を語るあまり、破れを受け止めて生きることができない」信仰勝利主義への批判については、ウェスレー自身の結婚生活が破綻していたことを例示し、「私たちが十字架につけられる時、主はもっとも近くおられる」とまとめた。

応答講演は二氏。まず金井由嗣氏(日本イエス・キリスト教団千里聖三一教会牧師)が「なぜ『ホーリネス』は『きよめ』と訳されたのか」と題して問題提起。原語の語源的意味では「聖性」だが、ホーリネス運動のダイナミックさを表すには不十分だと指摘し、文語訳の「聖潔(きよめ)」にはピューリタン的聖書理解やリバイバリズムが反映されていると指摘した、その上で、「現時点での訳語としては『聖化』が最適ではないか」と提言した。

続いて橋本昭夫氏(神戸ルーテル神学校教授)が、ルター派の立場から「キリスト者の完全」を検証。「ルターは救いの確証の根拠を、ウェスレーは救いの現実化を、それぞれの信仰的文脈で求めたと言えよう」とした上で、

「二人から信仰者の成熟をめざす方向を与えられる」と述べた。
最後に坂井純人氏(改革長老教会東須磨教会牧師、福音主義神学会西部部会理事長)が総括に立ち、「公同の教会における共通点と強調点の違いに着目しつつ、個人主義的生き方が重視される現代社会における教会の結びつきの意義を再確認する機会ともなり、キリストの結合の豊かさの祝福を多様な神学的伝統学ぶことができた」と締めくくった。

オンライン開催という制約の中で、例年の西部部会の研究会議で見られるような丁々発止の活発な意見交換が見られなかった点に残念さを覚えつつ、動画編集を駆使した主題講演や全国各地からの参加など、新たな可能性も感じることができた。秋の全国研究会議にも期待したい。