ケニアで見出した共に生きる幸せ  公文和子さん

ケニアの障がい児支援事業「シロアムの園」創設者

公文和子さん

シロアムの園には笑顔があふれている

ケニア在住の小児科医で、2015年にケニアの障がい児支援事業「シロアムの園」の働きを始めた公文和子さんが、日本での学会出席のために5月5日から31日まで一時帰国した。19日には自身の新刊『グッド・モーニング・トゥー・ユー』(いのちのことば社発行。写真下)も発売。21日にお茶の水クリスチャンセンターにて複数メディアからの取材を受けたほか、PBAのテレビ番組・ライフラインの収録も行った。【結城絵美子】

 

日本の小児科医が、なぜ、ケニアで障がい児支援なのか。一つには、ケニアには障がい者の生活を支えるようなシステムも医療保険もなく、障がい児が生まれると、そのケアも金銭的な負担もすべて家族が担わなければならないのに、家族はどんなケアをどのようにすればいいのかもわからないという状況がある。
そして公文さんが、そのようなケニア社会の障がい児とその家族のニーズに応える生き方を選んだのは、自身の子どもの頃からの願いが理由となっている。

公文さんは1968年、クリスチャンホームに生まれ、幼い頃から教会学校やキリスト教主義の幼稚園に通い、聖書の話に親しみながら育ってきた。中でも、小学生の時に教会学校で「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません」(ヨハネ15・12、13)というみことばと共に聞いた、人のために命を捨てた人々の話は、その後の進路に影響を及ぼすほどのインパクトだった。
「人のために命を捨てるとは、人のために生きることでもある。誰かのために生きる人生を送ってみたい」と思った公文さんは、医師を目指して医大に進学した。そして、医学生時代に訪れたバングラデシュで出会った子どもたちの目の輝きに魅了された。

「この子たちを支援する」のではなく、「この子たちと共に生きたい」と強く願うようになり、帰国後、専攻を小児科に定めた。その後、日本で六年間の臨床経験を積むと、イギリスでさらに熱帯小児医学を学び、念願の開発途上国での仕事に就いた。
しかし、経験と学びを重ねるうちに、「共に生きる」というより「子どもたちを救う」つもりになっていた自負心は、内戦中のシエラレオネの野戦病院さながらの病院で打ち砕かれた。劣悪な環境下で、子どもたちがどんどん死んでいくのをなすすべもなく見守るしかなかった公文さんは、やがて、心も体も病み、不明熱が続いてドイツに緊急搬送されてしまった。

(休養の後向かったケニアで、公文さんは“運命の笑顔”に出会います。2021年6月13日号掲載記事