【神学】「神の王国」近代以降の研究史 『「神の王国」を求めて』山口希生著 評・山﨑ランサム和彦

神の支配を意味する「神の国」から福音を理解する論考への関心が高まってきた。その19世紀/近代以降の研究史をまとめて昨年秋に出版された『「神の王国」を求めて』(山口希生著)が注目を集めている。本書に注目した一人、新約学者の山﨑ランサム和彦氏は、その意義を次のように評価する。

イエスの歴史背景から見る神の支配

本書は月刊誌「舟の右側」(地引網出版社)に連載されていた記事を加筆・修正して単行本にまとめたもので、タイトルからも分かるように「神の王国」という新約聖書学の重要主題についての研究史をまとめた好著です。著者の山口希生氏(日本同盟基督教団中原キリスト教会牧師、東京基督教大学兼任教師)は英国セント・アンドリュース大学で博士号を取得した新約学者です。

全体は5部構成になっており、第Ⅰ部は導入として神の王国についての著者の理解を提示しています。一般的な日本語訳聖書では神の「国」と訳されることの多いギリシア語のバシレイアを「王国」と訳すことに著者はこだわりますが、それはこの言葉の中に「神が王である」という思想が反映されていることを重視しているからです。

イエスの宣教の中心メッセージ(すなわち福音)は「神の王国の到来」に関するものでしたが、それは神の王的支配がこの世界に実現していくことです。著者はこれについて、①イエスが宣べ伝え、もたらした神の支配の性質、②神の支配とイエスの十字架との関係、③神の支配と教会の役割、が重要な問題となると言います(21頁)。

第Ⅱ部以降は神の王国に関する主要な研究者を紹介していく内容となっています。19世紀の自由主義神学者リッチュルに代表される非歴史的な道徳体系としての神の王国観を否定し、イエスが生きた紀元1世紀の歴史的コンテクストの中で神の王国を理解しようというところから近代の神の王国研究史は始まりました。第Ⅱ部では19世紀後半以降の神の王国研究の礎となった「古典的」諸研究を扱います(ヴァイス、ダルマン、シュヴァイツァー、ブルトマン、クルマン)。第Ⅲ部ではイスラエルの刷新という視点からなされた神の王国研究を(ドッド、ケアード、ボーグ、ホースレー、フランス、ライト)、第Ⅳ部ではさらに多角的な視点からの諸研究を扱います(荒井、大貫、クロッサン、タイセン)。最後の第Ⅴ部では、福音書以外の新約文書における神の王国を扱った研究がカバーされています(ライト、モーフィット、ボウカム)。

取り上げられた学者たちの中で、著者の指導教授でもあったN・T・ライトが唯一2回登場しますが(12章と17章)、今日の新約聖書学におけるライトの重要性をうかがわせます。また、欧米の研究者が中心になっていますが、その中で日本から荒井献と大貫隆の両氏が取り上げられているのも注目されます。

神の王国に関する研究蓄積は膨大であり、本書でそのすべてを取り上げることはできなかったと著者もあとがきで述べておられます。それを理解した上で敢えて欲を言えば、女性の研究者、特にエリザベス・シュスラー=フィオレンツァのようなフェミニスト聖書解釈による議論が取り上げられなかったのは残念です(本書で取り上げられている研究者は全員男性です)。

 

神の王権はどのように世界に実現していくのか

(山﨑氏は、このテーマの最重要側面として、神による「王的支配」の概念、を語ります。2021年6月21日号掲載記事