持続して心のケアにかかわる 私の3.11~10年目の証し いわきでの一週間⑫

東日本大震災当時、いわき市で出会った人たちのその後を聞く。グローバルミッションチャペル(単立・平キリスト福音教会)の震災支援活動から生まれたNPOグローバルミッションジャパンの副理事長で同教会員の小野泉さんの10年を聞いた。【高橋良知】

連載→第三部  1回 2回 3回 4回 5回 6回 7回 8回 9回 10回 11回
§   §
震災から数日経つと、津波被害の状況が分かってきた。いわき市内で津波の被害の大きかった薄磯地区では二人の小さい子が亡くなったが、どちらも小野さんが知っている子たちだった。「一人は高専時代の後輩の長女で小学校4年生だった。おばあちゃんと共に津波で流された。灯台を描いた絵で賞を取っており、その絵をもとにした『黄色いハンカチ』が地域で覚えられている。震災後、その後輩と皆で食事をしたりしたこともある。気丈に振舞っていた。もう一人は、以前お兄さんと教会のイベントに来ていた子。お母さんと家に戻っていた時に津波に遭った。お兄さんは今ではアメリカ人の宣教師と結婚してアメリカにいる。薄磯のことを思うと、感情的になります」
福島第一原発事故のショックや不安は現在も続く。「放射能の知識もなく、どうなるかすごく不安だった。やがてクリスチャンのボランティアが毎日のように駆けつけてくれた。何かをしてくれた以上に、一緒にいてくれたことがどれだけ励ましになったか。一緒に賛美し、食事し、不安が消え去っていった。たくさんの方々に囲まれて教会の方々も安心されていた。神様からのプレゼントだったと思います」
10年を経て、「いろんな人が天に召された。一生懸命やっていた人ほど亡くなったという印象がある」と率直な思いを語った。「震災直後は情報もなく皆無我夢中。心の奥底には、これからどうなるのかという思いや、ものを失ったり、知り合いを亡くしたという複雑な気持ちがあったと思う。でもそれをおおい隠してどうにか生きてきた。福島第一原発については今も不安だ。2月の福島沖地震のように少し大きな地震が起き皆大騒ぎになった。今はある程度落ち着いている中で、根っこにあった不安があらわになっています」
「国破れて山河あり…」という杜甫の詩と現状が重なる。「人間の作った建物も、システムもはかないのだと。神様の被造物は素晴らしいものだったのだが。原発についてもそのように思ってしまう」と語った。
NPOでは、今も残る人々の不安の解消のため、「心の復興」をキーワードにした活動をしている。「持続が大事」と強調する。「インフラや仕組みが整っても一人ひとりの心のケアはこれからも必要。大きなイベントではなく、小さな集まりを何十回、何百回と開いて、つながりを持続させていきます」
「できるだけ多くの人に効率よく、とはいかないので事業としては大変。しかし、キリスト教精神の働きとしてたとえ一匹の羊でも貴い存在だとして助ける働きを大事にしたい」と話す。
現在は特に原発事故による避難者や帰還者とかかわっている。市内ほか、浪江町、川内村、広野町などに通っている。「原発事故の処理には40年はかかると言われている。次の世代でも解決できないのではないか。私たちは大きな問題をかかえます」
次の世代にアドバイスできることとして、「それぞれの賜物があるから、置かれた場で賜物を発揮すればいい。イエス様が頭で、それぞれが器官として尊い。それぞれ最善を尽くし、あれもこれもと、あまり頑張りすぎないことが大事」と言う。さらに「コロナ禍が落ち着いたらぜひ来てもらいたい。もし可能であれば福島に移住してきてほしい。こういう時こそチャンス」と勧める。
支援先での人々とのかかわりも紹介した。「一対一でお茶を飲んだりして、最後に『お祈りしていい?』と聞くとすんなり一緒に祈れることがある。聖書をもって何かを伝えるということではなくても、祈るときに、心が触れる気持ちがする。焦らず、気張らず、自然体でと思う。『もう10年』ではなく、『11年目』。これからも12年、13年とずっと働きは続いていきます」(つづく)