クリスチャン新聞web版掲載記事

昨年、私たち日本メノナイトブレザレン(MB)教団は70周年を迎えました。しかし、新型コロナウイルスの影響で記念大会は今年に延期され、先日9月20日に「みんなでブレイク・スルー」というテーマを掲げてオンラインで開催しました(クリスチャン新聞10月3日号に記事掲載)。70年にわたる日本での歴史は、直接的には、1949年に北米MB宣教局から派遣された宣教師によって始められますが、その前に16世紀の宗教改革にさかのぼるMB教会の歴史を知っていただけたらと思います。

再洗礼派の流れを汲み
「絶対平和主義」を実践

メノー・シモンズ

宗教改革運動のさなか、《再洗礼派》と呼ばれた人々がいました。当時広く行われていた幼児洗礼に、新約聖書の教えから疑問を抱いた彼らは、自らの信仰によって洗礼を受け直しました。しかし、国教制度がヨーロッパ社会の骨組であった当時、「信仰の自由」「国と宗教(教会)の分離」を主張した彼らは、迫害を受け、多くの人が殉教しました。

この時代、オランダの《再洗礼派》を指導していたのが、元カトリック司祭メノー・シモンズ(1496年~1561年)でした。穏健で聖書的だったブレザレン(兄弟会)というこのグループは、その指導者の名前からメノナイト(メノー派)とも呼ばれました。

17世紀後半、《再洗礼派》の人々は、信仰の自由を求めてアメリカに移住し始めました。一方、プロシア(今のドイツ)に移住していたオランダのメノナイトの人々は、18世紀末、ロシアからウクライナ地方を開拓して欲しいとの招きを受け、「信仰の自由」「兵役免除」の特典とともに入植を開始。12万人以上の人々がロシアに移住しました。そして1860年、敬虔派の説教者E・ヴュストによって彼らにリバイバル(信仰復興)が起こり、メノナイト・ブレザレン教会がロシアに誕生しました。

この後、ロシアは約束していた「兵役免除」の特典を撤回。絶対平和主義を唱えていた彼らはこれに反対し1万8千人以上が74年、アメリカの中西部とカナダに移住。メノナイト・ブレザレン教団、カナダ・メノナイト・ブレザレン教団が誕生しました。

ロシアに残った人々は、ロシア革命、飢饉(ききん)、2回の世界大戦中の迫害と虐殺などから、南北アメリカへの移住、あるいはドイツ国境への避難など、非常に大きな苦難を体験。このため北米では、メノナイト中央委員会(MCC)が結成され、彼らを支えました。

聖書から平和主義の立場を主張し、それを貫いたアメリカのメノナイトの人々は、兵役を拒否したため、戦争が起こるたびに迫害や困難を体験しました。しかし1940年、他の歴史的平和教会とともに政府に働きかけ、ついに「良心的兵役拒否」の制度を勝ち取りました。彼らが兵役を拒否するのは、アメリカ国家に対して忠誠心がないのではない、神から与えられた人間の生命を愛するからだと、アメリカ国家自身が認めたのです。

第二次世界大戦では、約1万2千の良心的兵役拒否者が、軍隊に入る代わりに民間公共奉仕作業(CPS)に参加、単に兵役を拒否するだけではなく、積極的に愛のわざを進めました。ダム建設、精神病院での奉仕などを行い、教会が財政面で援助しました。MCCは、救済事業を通して、戦後のヨーロッパ、アジアの復興を助け、その働きはアフリカ、南米に対する農業指導、職業訓練、医療活動などへも拡大しました。

 

「聖書的・伝道的・平和的」の
3本柱確認し教会主体へ変革

 

この働きの一つとして、北米MB教団は49年、宣教師H・G・ティルマンを日本に派遣し、以後も多くの宣教師たちを派遣して、各地にキリスト教会を開拓。こうして日本メノナイトブレザレン教団が誕生しました。

日本の高度成長期に合わせるように進められた宣教は、関西圏を中心に展開され、特に私鉄沿線に教会を作る戦略が功を奏して拡大しました。現在、関西地方20、中部地方に5、中国地方に3、関東地方に1、合計29教会があります。また、当初から牧師養成のための神学校、信徒教育のための教案出版事業、交わりとしてのキャンプ場の運営にも当たりました。

また、超教派の働きにも積極的に関わり、放送伝道や宣教大会をリードしてきました。関西の福音派の中では皆様によく知っていただける存在となりました。

しかし、90年代に入り、バブル経済の崩壊、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件など、社会情勢の変化に呼応するかのように教団の成長も頭打ちとなっていきます。そのような中、2000年に50周年を迎え、この節目の年に「聖書的・伝道的・平和的」の“3本柱”で歩んできたこと、MBの信仰の遺産を確認。01年には「明日の教会を夢見て」と題してMB伝道会議が開催され、現状分析と“3本柱”を中心に話し合い、既成教会の成長の停滞、牧師の高齢化や牧師中心の伝道の限界も指摘されました。

03年に「MB刷新委員会」が設立され、05年には、「教団主導から教会主体の組織への変革」「信仰告白をICOMB(世界MB共同体)の信仰告白に基づいて改訂」「女性教職者の道が開かれることも検討」など、九つの「提言」がまとめられ、それに沿った各教会での実践とともに、16年に信仰告白が全面改訂されました(クリスチャン新聞2016年4月17日号に記事掲載)。

これにより、私たちの信仰のアイデンティテイーを見直し、福音的なアナバプテスト(メノナイト)神学に立ち、世界のMB共同体の一員として信仰を告白することになりました。内容は、第一部「神の救済の物語」、第二部「MB教会はいかに神の目的に応答するか」の二部構成で、神の救済の物語に対してMB教会がどのように応答すべきかという対話になっているのが特徴です。

特に第二部は、聖書の民(聖書の性格・聖書解釈の基盤・聖書解釈の共同体)、宣教の民(宣教の担い手・宣教の対象・宣教の働き)、平和の民(平和の性格・平和の範囲・平和の視点・平和の希望)に分かれ、50周年のコンセプトを踏襲したものとなりました(信仰告白の全文は、教団のHPに掲載)。

私たちの教団は、改訂された信仰告白に基づき、さらに学びを深めながら自分たちの信仰の立ち位置を確認しつつ宣教の御業に参画していきたいと思っています。

 

MB宣教センター

2018年、阪急宝塚線石橋阪大前駅前にMB宣教センターが完成しました。国土交通省の土地を競売で落札し、とても交通の便の良い場所に石橋キリスト教会とともに移転しました。宣教センターには、教団事務局と福音聖書神学校が入っていて、まさに宣教の最前線の場所として地域で用いられることを願っています。事務局の働きが拡充し、若い人材も
与えられています。(写真下は開所式で)

福音聖書神学校

神学校授業風景

神学校チャペル

MBが運営する超教派神学校です。1957年に設立、1971年に現在の呼称に、年齢・性別を問わず、すべてのクリスチャンに開かれています。牧師・宣教師等のフルタイムの働きを目指すコース(本科神学課程)、社会や教会で主の弟子として仕えていくためのコース(教会伝道者課程)、信徒説教者として奉仕する備えをするためのコース(信徒説教者課程)、関心のあるクラスを自由に選択し、学びに参加できるコース(聴講)等、それぞれの召しにしたがって学びに励むことができます。
〒563-0032大阪府池田市石橋2-17-10-B ℡. 072-761-1397

世界宣教(タイのクム族)

写真=額賀潤二・ひとみ宣教師夫妻

コーヒー栽培から販売までクム族が自立して宣教が進められるようにサポートしている

20年以上前から、北米のMB宣教局と共同でタイ北部の山岳民族であるクム族への宣教がなされてきました。現在、額賀潤二・ひとみ宣教師夫妻が奉仕しています。教会を建て上げるとともに、現地の人たちが自分たちの手で自立して宣教を進めていけるようにサポートしています。特に貧困の課題があり、ユースホステルを運営して子どもたちの教育支援を行ったり、焼き畑農耕から珈琲栽培に転換して、確実な収入を得ることができるように栽培から販売までの支援を行っています。ここでも、ホーリスティックな宣教が始まっています。

 

能勢川バイブルキャンプ

四季折々のダイナミックな自然景観の変化が目に鮮やかな兵庫県川西市北部の能勢川渓流沿いに開かれた機能性に優れたキャンプ場です。教会関係だけでなく、一般の教育活動にも開かれており、地域のボーイスカウト、ガールスカウト、子供会等の諸団体にも利用されています。日帰りキャンプやオートキャンプも可能になりましたので是非ご活用ください。
〒666-0155兵庫県川西市西畦野字餓景6-1 ℡.072-794-0120

 

日本メノナイトブレザレン教団

教団事務所=〒563- 0032大阪府池田市石橋2-17-10-B
電 話=072・762・5731
FAX=072・761・8200
Eメール=office@japan-mb.com
ホームページ=https://nihon-mb.jimdofree.com

2021年11月14日号掲載記事)

シリーズ●教団・教派を知る

☆日本福音自由教会協議会 70周年 そのスピリットとルーツをたどる

☆日本ホーリネス教団 ホーリネスの恵みをすべての人に

☆JEC日本福音教会 多様な教会の群れがいのちの働きを生み出す 

☆日本イエス・キリスト教団 バックストンの働きと信仰を継承して戦後創立

☆日本聖約キリスト教団 自由教会ルーツに、みことばに聞き、宣教に仕える

☆基督兄弟団 完成を目指して

☆シオン・キリスト教団 ”キリスト御自身を伝える”

☆日本同盟基督教団 献身した信徒らの宣教が原点