「キリストの犠牲をもって住民運動にかかわる」川上氏 FCC放射能問題学習会で
負けても勝っても復活信じ寄り添う 『裁かれなかった原発神話』でFCC学習会
福島第一原発事故をへて、移住と帰還、廃炉、廃棄物・汚染水処理など様々な課題が残る一方、原発再稼働や新設増設の動きが国内外に広がる。このような中、原発事故前の住民運動に光を当てた松谷彰夫著『裁かれなかった原発神話――福島第二原発訴訟の記録』(かもがわ出版、2021年=写真=)は、現代に様々な教訓を与える。
同書を課題図書に、福島県キリスト教連絡会(FCC)放射能対策室第41回放射能問題学習会が11月11日にオンラインで開催された。東北ヘルプ事務局長の川上直哉氏(日基教団・石巻栄光教会牧師)が、身近な現在の問題に結び付け、「『現状』を踏まえ・『良い負け方』を視野に・『できること』を探して」というテーマで語った。【高橋良知】
§ §
石巻市在住の川上氏は近辺の話題を紹介した。11月8日に、石巻の市民グループによる東北電力女川原発2号機差し止め訴訟提訴があった。10日には、キリシタンゆかりのサン・ファン・バウティスタ号復元船(サンファン号)の解体工事が始まった。解体工事について住民や国内外の人々から疑問の声が起こり、訴訟にもなった(本紙8月22日号参照)。「これらの問題には、原発の住民運動から教えられてきた」と語った。また「未来のフクシマの姿がある」として、水俣病を題材にした映画『MINAMATA―ミナマター』への賛否両論の評価にも触れた。
政府の「第六次エネルギー基本計画」で、2030年をめどに総発電量中20~22%を原子力発電とする方針や、「第26回気候変動枠組条約締約国会議」(COP26)で、CO2削減のため、英国をはじめ、仏国などが原発新設・増設、小型原子炉導入を打ち出すなど、原発に傾斜した動きがある。
『裁かれなかった原発神話』の著者は元高校教員。「福島第二原発訴訟」(1975年提訴)を中心に原発開発計画の発端から行政、業者、メディアの結託問題、住民の反対運動、東日本大震災発生に至るまでを、新聞、行政資料、裁判資料、個人的な聞き取りなどを駆使してまとめている。
川上氏は同書からいくつかの話題を抜き出し論評した。原子力委員会による原発の「立地指針」では、原発立地地域は「人口密集地帯から離れた地帯」であり、 「人口の増加は抑制されるべき」とされ、地域が期待した発展・開発とは矛盾した。このような開発計画の事実は表に出なかったが、僧侶であり、教員だった早川篤雄氏の調査で明らかになった。川上氏は「経済的な損得・政治的な勝ち負けを超えた次元でかかわる人、宗教者の存在は重要」と述べた。
訴訟に向けて連帯した教職員たちが「公害を防ぐには住民運動以外に方法はない」と受け止めたことにも注目した。川上氏は「誰かの犠牲が必要となる。住民運動をやっても、行政や大企業には歯が立たないことがほとんど。でもそれをやらなかったら、止まるかもしれないものも止まらない。私にとって贖罪論の研究が重要だった。聖餐式をするたびに『あなたたちは誰も死ななくていい。私が死ぬから』というキリストの犠牲を想起させられる。神様が犠牲を引き受けてくださる。これなしで住民運動にかかわるのは大変だと思う」と話した。
最後に宗教者、キリスト者、教会にできることをまとめた。同書の著者が訴訟当時、新任教員として『そばにいた』ことに注目した。川上氏は、サンファン号の解体が始まり、反対のシュプレヒコールが上がる中、反対運動のビブスは着なかったが、牧師と分かる姿でそばにいたことに触れた。「宗教者の立ち位置を考えさせられる。手が出せなくても決して離れない。人間の世界がどんなにひどくても、神の手のうちにあると信じて世間の中にいる」と語った。
キリスト者にできることとして、現在著書の翻訳に取り組んでいるユージン・ピーターソンから、 「混沌の中からの創造」や死からの復活を待ち望む信仰について紹介し、「負けても死んでもいい。神様が犠牲を引き受けるから大丈夫と、この世界に自分を投げ出していくことがキリスト者にはできるのではないか」と話した。
「教会」の可能性としては、水俣、福島、サンファン号を取り上げ、「それぞれキリスト者が関わっているからつなげられる。つなぐ力が教会にある」と述べた。 またキリシタンを捉えなおし、「日本にキリスト教が根付かないという『日本特殊論』、『沼地論』があり、『キリシタンが増えたのは、立身出世のためだ』とも言われた。しかしそれは違う。1612年の禁教令が出た後も、立身の妨げになるはずだが信者は増えた。日本特殊論は支配者側からの錯誤だ。教会は今もちゃんと根付いて、仕事をしている。『どうせ(日本に)負ける』という考えでは、プロテスタント150年の成果も見逃すのでないか」と励ました。