宗教社会学という学問は、社会が宗教を規定することを前提に宗教を客観的に捉えようとする。しかし、キリスト教信仰の立場から見れば、宗教が人を変え社会をも変えると見る。そうした宗教と社会の関係について考察する書『宗教と社会』が、このほど出版された。信仰者は普段、宗教の側から社会について考えることになれているが、両者の関係を問うところから、改めてキリスト教信仰の意味が見えてくる。

宗教と社会 社会が宗教を規定するのか? 宗教が社会を変えるのか?
渡辺 聡著  四六判 224頁 2,090円(税込) いのちのことば社

◆渡辺 聡(わたなべ・あきら)
1959年福岡市生まれ。東京バプテスト教会ミニストリー牧師。青山学院大学非常勤講師(宗教社会学、宗教と社会)。アメリカ・ケンタッキー州サザンバプテスト神学校で宗教社会学専攻(Ph.D.)
著書:『なぜ宗教はなくならないのか:ポストモダンと宗教社会学』(キリスト新聞社)、『東京バプテスト教会のダイナミズム(1-3巻)』(ヨベル)
訳書:ボブ・ラッセル『12の危機からあなたを守る聖書のメッセージ』(いのちのことば社)

社会の「脱人間化」を変革する宗教とは?

 

【評】篠原基章(しのはら・もとあき)

東京基督教大学准教授(宣教学)。カルヴィン
神学校修士課程組織神学専攻(Th.M.)トリニティー神学校博士課程宣教学専攻(Ph.D.)

 

この著作は牧師と宗教社会学者という二つの肩書を併せ持つ渡辺聡氏が、青山学院大学教育学部の授業で語った講義ノートをもとにまとめたものである。

牧師であることと宗教社会学者であることは必ずしも一致しない。牧師は聖書の神を信じる信仰者であり、その道を説く伝道者である。

客観的な観察者としての態度が求められる学問の世界において、宗教社会学者であるためには信仰者であることから距離を置くことが求められるというのが一般的な理解である。

著者である渡辺氏の場合、この両者は決して分離せず、信仰者の著者が宗教社会学者の著者を牽引する。この書物において、宗教社会学の学術的知識が信仰者としての著者に収斂(しゅうれん)されている。ここにこの書物の真価がある。

合理化が進んだ「鉄の檻」

渡辺氏は宗教社会学の泰斗マックス・ウェーバーが提起した様々な概念と思索を手がかりにしつつ議論を深めていく。

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は近代資本主義が発展した西欧の宗教的エートスに関する研究であるが、その終わり部分において資本主義の趨勢(すうせい)に対する大きな危機感を吐露している。

ウェーバーは近代資本主義の本質を合理化と見て取り、合理化によってもたらされる社会の行く末を予見し、「鉄の檻(おり)」という象徴的な表現を用いる。

「鉄の檻」とは合理化が社会の隅々まで進展した資本主義社会のことである。

渡辺氏は、現代の社会学者ジョージ・リッツァーの『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部)の議論を援用し、合理化と効率化の追求がもたらす現代社会の「脱人間化」の病理について警鐘をならし、宗教にはこのような「社会の脱人間化」を打ち破り、変革する力と役割があることを提起している。

 

神に従いルールを破る狭い門への招き

模範預言型の宗教
使命預言型の宗教

だが、すべての宗教が社会を変革する力をもっているわけではない。

マックス・ウェーバーは、東洋の宗教と西洋の宗教との比較において「模範預言」と「使命預言」という本質的な違いを見いだした。

儒教や仏教に代表される東洋の宗教は模範預言型として分類され、その宗教的特徴は伝統的な権威を模範的に体現していくことにある。

それゆえ、模範預言型の宗教は既成の権力を擁護し、現状を維持する傾向をもつ。

それに対し、ユダヤ教やキリスト教などに代表される西洋の使命預言型の宗教の特徴は、伝統的な権威を越えた所に位置する超越者である神の「道具」としての自覚にあり、伝統的な規範に対して神の教え(例えば、偶像礼拝の禁止や隣人愛の教え)が優先される。

しかし、使命預言を本質とする宗教においてでさえ、権力側に立ち、時の権力者に都合の良いことだけを語る「偽預言者」が現れる。

権力側に立つ偽預言者の宗教は当然のことながら社会を変革する力をもたない。

日本の宗教は模範的宗教の傾向が強く、社会を変革する力となるよりも既成権力を擁護し、社会の現状を維持する装置となってきた。

明治政府が近代国家建設の支柱として天皇を頂点とする国家神道を掲げるなか、日本の教会において本来の使命預言型に立ったキリスト者は一握りであった。

重要なことは、東洋であろうと西洋であろうと、、、、、、、、

2022年1月30日号掲載記事)