祖父の神社参拝と検挙が当事者性の核にある「2・11平和の集い」で朝岡氏

各地で2・11集会

「建国記念の日」に戦前の神話的紀元節の復活を危惧し、2月11日を「信教の自由を守る日」と位置づけるキリスト教界では、今年もこの日、各地で信教の自由をテーマにした集会が開かれた。今年はコロナ禍ということもあり、オンラインのみ、対面とオンライン併用の開催が目立った。(2、3面に関連記事

2面

香港と中国大陸のキリスト者に学ぶ 改革派西部中会2.11集会

コロナ禍における「教会と国家」 同盟基督教団2.11セミナー

3面

「真の脅威とは」問う 憲法学者斉藤氏 JECA関東2.11集会

「二者択一」の前提がおかしい 「天皇制」問う 第56回2.11東京集会

 

朝岡勝氏

 

「2・11平和の集い」(日本キリスト改革派教会東部中会社会問題委員会主催)では、朝岡勝氏(東京基督教大学理事長)が、「ひとごと?よそごと?じぶんごと?─2・11に当事者として考える」と題し、若い世代を念頭に講演した。

最初に、信教の自由を守る日とはいかなる日かについて語った。「この日、2・11の集まりを持つことは、天皇の支配する国という物語を思い描こうとする流れに、絶えずそうではない在り方を示す日。特に私たちキリスト者にとって真の王の王、主の主であるキリストに対する信仰を公にする日だ」

その上で、当事者としての問いの始まりとして、母方の祖父安藤仲市牧師のことを挙げた。

「祖父はホーリネス系のきよめ教会に属していたが1942年6月の一斉検挙で捕まり、1年半拘置所生活を送ることになった。子どもの頃この話を聞く中で、この国で牧師であることは、特に悪いいことをしたわけでなくても、捕まってしまうことがあることを覚えさせられた。戦時中の被害者としての教会の姿が最初に刻まれた」

だが、日本の教会の歴史を学ぶ中で、今度は日本の教会の加害性に意識が向いていったと語る。

「神学校時代、金田隆一著『戦時下キリスト教の抵抗と挫折』を読み、礼拝中に宮城遥拝し、アジアの植民地支配に加担し、戦後は悔い改めなく再出発する教会の姿にショックを受けた」

その後、渡辺信夫著『教会論入門』の影響により宗教者カルヴァンから学ぶようになり、ドイツ告白教会闘争、同盟教団の戦争責任からも学んだ。

 

そして、昭和から平成への天皇代替わりを経験。

「日本全体が重たい空気の中、昭和天皇崩御を迎え、天皇の代替わりが行われていった。この国で主に仕えていく時に、天皇制の問題は私自身がキリスト者として生きていく上で避けて通れないと思った」

2006年、第一次安倍政権が成立。その頃から雰囲気が変わってきたと言う。

「この時、教育基本法の改悪があった。私は牧師として初めて国会議事堂前のデモや抗議行動に参加。学校現場での日の丸・君が代強制に対し抵抗するキリスト者の教師の方々の闘いを知り、この問題に自分からコミットするようになった。07、08年頃には、キリスト者学生会の若者と一緒に1年間、バルメン宣言を読むという体験を通して、日本の教会の過去の歴史を学ぶにとどまらず、今の私たちの現実について考えるきっかけとなった」

12年からの第二次安倍政権時は、「政治的指向、目指すものが、聖書の価値観も共有する憲法の大切にしているものを、ことごとく狙い撃ちしている。この状況に対し、危機感を感じた」と言う。

「この問題を次の世代に引き継いでいけるかについては大きな反省があった。だからこの時期は若者と考えることを大切にした。特定秘密保護法、安保法制下にあって、教会としての社会への発信に身を置く中で、いろんなことを考えさえられた」

その中で特に考えさせられたのが「当事者とは誰か」だったと語る。「当事者性とは、クレネ人シモンのように途上でイエス様と出会い、重荷を負わされていく経験であり、ある種の出会いの中で神様から与えられるものだ。若い方々はこれからの人生の中で、神様にあって出会わされていくことがあるのではないか」

最後に「私自身の当事者性」について語った。

「私の当事者性の核にあるものは、祖父のこと。『日本同盟基督教団130年史』編纂過程で、日本聖化基督教団の機関紙から以下の内容の文書が出てきた。1942年6月、全国から47人の教師を集め、第1回基督教教師練成会が開催され、皇国の道に従うよう錬成を受けた上で、最終日に全員が2班に別れ、宮城奉拝並びに靖国神社参拝した。その中に、安藤仲市の名もあった、と。祖父は戦後、一斉検挙のことは語っても、そのことに関しては一切語らなかった。このことを自分事として考えていかなければならない」と語った。

クリスチャン新聞web版掲載記事)