コロナ禍における「教会と国家」 同盟基督教団2.11セミナー

袴田氏

日本同盟基督教団「教会と国家」委員会主催2・11信教の自由セミナーは、奈良県生駒市の生駒めぐみ教会、オンライン併用で開かれた。神戸改革派神学校教授の袴田康裕氏が「コロナ禍における『教会と国家』」と題して語った。

コロサイ1章16~18節を引用し、コロナ禍が与えた教会への影響について「教会は霊的危機に立たされているのではないか」と、問いかけた。

 

簡単に社会の風潮にのみ込まれてはいけない

 

コロナ禍の具体的影響の一つは「集まることの困難さ」。キリスト者は教会に集い、共に賛美し、みことばを聞き、互いに交わることで霊的慰めと力を得てきた。集会の熱心が失われることは、確実に教会の力が失われていくと、袴田氏は指摘する。

今はまた「教会の自律性」を再確認するときでもある。コロナは教会に社会的プレッシャーをもたらした。教会の事柄を、教会は本当に自律的に考えて決断しただろうかと問う。

「国家権力が命じても、教会は礼拝を中止していいものではありません。簡単に社会の風潮にのみ込まれてはいけない。もし戦争が起こっても、流されない自律性を保てるでしょうか」

国家統治、国家的為政者は、神によって正義の実現のために立てられたものだと、聖書は教えている。キリスト者は神が立てられた者への服従の義務があるが、国家権力が目的を逸脱した場合は、その必要はない。

「国家が神から委託された領域を超えるなら、私たちは反対しなければなりません」

教会には、キリストにゆだねられた独立した霊的権能がある。キリストこそ教会の頭であり、国家権力は介入できない。

「今は憲法によって信仰上の独立は守られていますが、戦前戦中の日本のプロテスタント教会は違いました」

それは敗北の歴史だと評する。戦前ある牧師は「国体は絶対である。国家は宗教の上にある」と語るなど、、、、、、

(さらに袴田氏は、今教会が考えるべきことについて語ります。クリスチャン新聞2022年2月27日号掲載記事)