人は、他人のために新しいことを始めるなら、決して老いることはない

【記・守部喜雅】 

 父は59歳で地上の生涯を終えた。ただ、慰めなのは、病床で福音を聞き、イエス様を救い主として信じ受け入れたことである。筆者は、父親より22年も長生きをして、81歳という年になった。この年齢は、日本人の男性の平均寿命に当たるらしい。これは、60歳の定年退職後も、20年以上も、余裕の老後があることを意味し、この時期をいかに生きるかは、現代人にとって、大きな課題と言える。

 

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 商社に勤めていた私の友人で、定年退職時の60歳を前に、豊かな老後の生き方を次のように語ってくれた人物がいる。

 「とにかく働きずくめの40年だった。退職後は、仕事のことは考えなくてもよいし、複雑な人間関係からも解放される。まず、毎朝、バッハの音楽を聴きながらのんびりと過ごしたいね」。

 この言葉通り、その友人は、それを実行に移したものの、三か月も経つと、心の充実感どころか、何の役にもたっていない自分を発見し、だんだん喪失感に襲われたのだと言う。たっぷりある時間をどう過ごすか-これは、実に人生における避けて通れない課題と言えないだろうか。

 

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 「人は、新しいことをしていれば、決して老いることはない」とは、ユダヤの哲学者・マルチン・ブーバーの言葉だが、私は、これを少し言い換えて「人は、他人のために新しいことを始めるなら、決して老いることはない」と言ってみたい。私のまわりには、この言葉を実行している人物が何人もいるからだ。

 

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 定年後、介護士の資格をとり、65歳を超えた今も、老人ホームで働いている独身男性。聖書を学び直したいと神学校の信徒のための聖書講座を受け、教会学校の教師として働いている女性。

 そして、極めつけは、90歳を過ぎても、月一回は、神学校に行き、マルチン・ルターの研究を続け、週二回は手話の奉仕、週二回は、老人ホームに行って自分より若い老人の相談相手をしている女性である。

 この女性は、70代に、中国へ聖書を届ける奉仕に加わり、それを90歳まで続けてくれた。ところが、90歳になってからその後の五年間は、この働きから手を引かれた。ご高齢だから当然だと思っていたが、95歳の時、再び、パスポートを取り直し、中国への奉仕に加わってくださったのである。

 彼女曰く、「5年間、お休みしたのは、自分の葬式代を貯めるため、もうそれが貯まったので、また、中国へ行けるわ」。

 95歳でパスポートを取得した婦人は、その後、4年間、何回か中国旅行に加わってくださり、99歳の時、祈祷会に行く途中で気分が悪くなり、自分で救急車を呼び入院、そのまま、主の御許へと旅立った。

 私は、この婦人の生涯を思い出すたびに自分はまだまだ甘いと痛感する。

 「人は、他人のために新しいことを始めるなら、決して老いることはない」。

 コロナ禍という苦難が続く2022年、今年も、この言葉を、座右の銘としたい。

クリスチャン新聞web版掲載紙面)