ウクライナ難民支援報告・祈り会では、船越宣教師夫妻からの報告と祈りの要請が読み上げられた。以下はその抜粋。
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今回、ロシア侵攻前から、避難要請を大使館から受けていたが、現地にいるメンバーを置いて避難できないと考え、留まる決断をした。
2月24日の侵攻を受け、第一陣として教会メンバーの家族がいるウクライナ西部カルパチア地方のベリカ・ビーガンに12人が車3台で避難。24時間あれば到着できる道のりを橋の爆破や渋滞などで53時間かかったが、26日無事到着。その後も2、3便と継続して退避が行われた。オデッサ教会のメンバーと家族は現在、教会関係を通してウクライナ国内とモルドバ、スロバキア、ポーランドなどで避難生活を送る。
3月20日、ウクライナ国内の移動が難しいため、ウクライナからハンガリーに入り、ルーマニア、モルドバを通ってウクライナへ再入国し、オデッサの会堂に残っている兄姉と一緒に礼拝ができた。私たちが来ると聞き、兵役についていた兄弟も軍から戻り、礼拝に参加。涙の再会だった。3日間の長旅だったが、共に賛美し、祈れたことは何よりうれしかった。

船越真人、美貴宣教師夫妻

4月6日、再度オデッサの兄姉と共に礼拝するため、ベリカ・ビーガンを出発し、モルドバへ。状況が許せば4月10日朝、ウクライナ入りし、オデッサの兄姉と日曜礼拝を行う予定だったが、9日夜9時から11日朝9時まで外出禁止令・戒厳令が出された。オデッサはここ数日ミサイル攻撃が続いており、50人以上の死者が出ていた。
実は10日は、1944年にナチス制圧からオデッサが解放された日で、ソ連時代から〝オデッサ解放記念日〟となっている。〝ネオナチ〟からオデッサを再び〝解放〟するとのことで、この日、ロシア軍による激しいミサイル攻撃が予想された。そのため、9日朝に国境を越えてオデッサに行き、教会のリーダーたちとミーティングをし、昼頃オデッサを出発。国境では退避者がさらに多くなり、時間はかかったが無事モルドバに戻れた。10日はモルドバの教会で礼拝した。
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【祈りの課題】▽神が介入し、世界の指導者が良い判断・決断ができるように。▽避難中の船越夫妻と教会メンバーが守られ、それぞれの場所で主の働きに用いられるように。▽オデッサに留まる兄姉家族がロシア軍の攻撃から守られるように。▽オデッサに戻った時、一致して主を見上げられるように。▽この苦闘の中、主に従うウクライナとロシアの人々が用いられ、神の栄光が現れるように。
【支援金窓口】①銀行口座=西兵庫信用金庫 加古川北支店 017 普通預金口座0140532、加古川バプテスト教会 代表役員・梅谷悟、②ゆうちょ銀行=記号14340