三浦綾子

2001年7月に始まった三浦綾子読書会は、4月25日の三浦綾子生誕100年を前に「三浦綾子読書会20周年記念集会」(午前)と「三浦綾子生誕100年記念集会」(午後)を4月23日にオンラインで開催した。三浦綾子の人生、作品に触れ、同読書会の歴史と今後について語られた。【高橋良知】
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読んで終わらず、生き方で応答し続ける

午前は3人の祝辞と講演があった。


三浦綾子・光世夫妻宅に最も近い旭川めぐみキリスト教会の元牧師、込堂一博さん(読書会相談役)は就任時の三浦夫妻との交流を語り、「綾子さんは人間が大好きな人、人を恐れない人、人を励ます人だった」と述べた。

 


読書会朗読部門講師でナレーターの中村啓子さんは「綾子さんを全く知らずに、朗読を学びに来る人たちもいるが、そのような人たちが目を輝かせて読んでくれるのが感謝」と朗読部門の様子を話し、がんで逝去したメンバーのエピソードを語った。

 


読書会運営委員の正田早苗さんは、夫の眞次さんが旭川めぐみキリスト教会牧師のときに、三浦夫妻と交流した。読書会にも従事した眞次さんは15年に急逝した。その心情を、恋人を失った三浦綾子の『道ありき』の言葉と重ねて紹介し、「読書会や作品に触れると夫を思い出してつらいこともあるが、ここが私の立つ場所と思う」と述べた。

 


水戸晃さん(広島、東広島読書会世話人)が「三浦綾子読書会の歌」を披露した後、長谷川与志充さん(読書会発起人、同顧問)が読書会発足からの経緯と今後への期待を話した。11年からは代表を森下辰衛さん(三浦綾子記念文学館特別研究員)に引き継ぎ、長谷川さんは顧問としてかかわり、海外部門やツアー、牧師会に力をいれた。三浦綾子作品は18か国語の翻訳があり、国内や海外の外国人の伝道の可能性も展望している。

今後について「希望」「従順」の視点で話し、「綾子さんの死後も読書会や著作がなお用いられると思う。作品を読んで、感動して終わりではない。読んだ者の責任として、その後の生き方で応えなければならない」と勧めた。

 

日本、世界に希望の遺産


午後はピアニストの菅野万利子さん(ユーオーディア・アカデミー講師)が『氷点』に描かれるショパンの「幻想即興曲」や、『道ありき』に登場する四つの賛美歌を演奏した。

 


三浦綾子初代秘書の宮嶋裕子さん(読書会相談役)は現在の働きにつながる2人の言葉を紹介した。一つ目は2代目秘書の八柳洋子さんから。八柳さんは肺がんで、三浦綾子よりも半年早く亡くなったが、宮嶋さんに「光世さんと綾子さんを助けに来てね」と頼んだという。その後宮嶋さんは神からの召しを確信し、「最後の秘書」として従事した。

二つ目は三浦綾子から。たびたび「私の跡継ぎしてね」と言われていた。「自分なりに努力し、キリスト教雑誌に3度証しを投稿したが、掲載はされなかった。ところが後に連載や書籍につながった」と振り返った。

 


最後に森下さんが「人生」「作品」「文学館や読書会」「読者」といった四つの遺産について語った。「三浦綾子は戦後の絶望、罪責感、闘病生活でもがきながら、神様に出会い、希望を証しする者となった。小説では神学や理屈ではなく、『この人は本物だ』と分からせるドラマを描いた。その人生を通して聖書を読もう、教会にいってみようとなります」
四つの時期に分けて、作品を紹介した。全作品に一貫するメッセージは「なぜ苦難があるのか、なぜ人は罪を犯すのか、救いの道はどこにあるのか」だと指摘した。遺作の『銃口』については、「『銃口』とは敵対心や憎しみ。これらに勝つ希望がある。人間の真実と神の言葉について、この国に向かって語りつくした」と解説。災害を描いた『泥流地帯』にも触れ、「人類の希望、教科書となる」と勧めた。

クリスチャン新聞web版掲載記事)