【連載】世の目人の目聖書の目ー世相を読む③ 「死にたい」気持ちに共感し、本当の愛で包む
「あなたが死んだら私は悲しい」
碓井 真史 新潟青陵大学大学院教授/心理学者
「毎晩、死にたい気持ちでいっぱいになります」
「それはつらいですね。今、街に来ているサーカスでも見に行ったらどうですか。あのピエロは大爆笑ものですよ」
「…私が、そのピエロなんです」
芸能界で、また自殺の話題だ。スタミナドリンクのCMでおなじみ、元気はつらつだった俳優。リアクション芸で有名だったお笑い芸人。熱湯風呂に突き落とされても、人間大砲で打ち上げられても、いつも笑いに変えていたのに。
自殺は、自ら選び取った死ではなく、精神的に追い詰められた末の死だ。心のメカニズムの誤作動とも言えるだろう。人には迷惑をかけず、きちんと生きようと思いすぎることが、死を近づける。中高年は、気づかないうちにうつ病になっていることも多い。死にたい気持も、病による症状の一つだ。どんな人でも病にはかかる。
「死にたい」気持ちに共感し、本当の愛で包む
死を真剣に考えている人への間違った態度が2種類ある。一つは、「死にたい人は死なせてあげよう」だ。冷酷な人だけでなく、他者に優しく個性を尊重する人も、そんな誤解をすることがある。しかし若者の「死にたい」は、実は「幸せになりたい」なのだ。ただ、問題を解決し幸せになる方法がわからず、死が唯一の解決策と思い込む。またうつ病の人は、自分が死ねばみんなが助かるなど、思考が歪(ゆが)む。どちらも、死にたいとは言っても、本当に死を望んでいるわけではない。
もう一つの誤った態度が、頭ごなしの一方的な自殺の否定である。どんなに感動的な話も、今は届かないのに。全否定などしたら、この人も私の気持ちをわかってくれないと絶望するだけなのに。
もっとも、話を聞き寄り添う大切さ、受容と共感と傾聴などは、すでに学んでいることだろう。それでも、そんな冷静な態度を取れなくなるのは、相手のことを愛しているからだ。大切な家族、親友、教会員。そんな愛する人が、自分はいらない人間だ、死んだほうが良いなど言ってくれば、心が張り裂けそうに悲しい。腹が立つほどだ。
そんなとき、愛が空回りし不安に押しつぶされると、人は怒ったり、正論をぶつけたりしたくなる。しかし、それは相手の助けにはならない。泣くものと共に泣くためには、こちら側の心の健康さが求められる。たしかな信仰、確固たる信念を持ちながらも、それを振り回さない心の落ち着きが必要だ。自殺という行為は認めないが、死にたい気持ちには共感を示す。しっかりと話を聴き、「あなたが死んだら私は悲しい」と素朴な思いを伝えよう。
かつて大統領就任式にも登場したリック・ウォレン牧師は、自分の息子が自殺をしたときにこのように言っている。「妻と私は、みなさんの愛と祈りと心からのことばに、圧倒されています。みなさん全員が、私たちの壊れた心を包んでくれています」
自殺を考える人にも、遺族にも、必要なものは本当の愛なのだろう。寛容で、親切で、高慢にならず礼儀に反しない、空回りしない揺るがぬ愛なのだろう。
(クリスチャン新聞web版掲載記事)