リチャード・ボウカム著『聖書とエコロジー』

山口希生訳 四六判・364頁 いのちのことば社 定価2,420円(税込)

 

地球温暖化や海洋汚染、生態系の破壊など、地球環境が危機に瀕(ひん)している。その原因を「生き物を支配せよ」(創世記1・26、28)という聖書の教えにみて、西洋キリスト教文明が傲慢に資源開発を追求してきたことにある、との批判は根強い。だが本当にそうか? 現代社会の倫理的問題にも鋭く切り込む論客の聖書学者、英国のリチャード・ボウカム博士の書 The Bible and Ecology の邦訳が出版された。ボウカム氏に師事した横田法路氏に論評してもらった。

 

【評者】横田法路(ぽうろ)
九州大学・大学院(修士)修了。英国セント・アンドリューズ大学院でリチャード・ボウカム教授の下、新約聖書学の分野で博士号を取得。現在、油山シャローム教会牧師、関西聖書神学校講師、九州キリスト災害支援センター理事長。主要著訳書:共訳『イエス入門』(リチャード・ボウカム)、共著『人生を聖書と共にーリチャード・ボウカムの世界』(新教出版社)、編著『「キリストさん」が拓く新たな宣教』(いのちのことば社)

 

創世記の「支配せよ」とは
他の生物への配慮あるケア

 

今日の日本の知的環境において本書の翻訳出版は、キリスト教界内においてはもちろんのこと、それを超えて大きな意義を持つものである。というのは、日本の知識人(たとえば梅原猛)は、今日の環境破壊の原因にキリスト教の人間中心主義があるとみているからである。

このような理解の背後にあるのは、リン・ホワイトの挑戦的論文「現在の生態学的危機の歴史的根源」である。ホワイトによれば、キリスト教は、創世記1章26節と28節に見るように、神によって創造されたものの上に人間を置き、人間が活用するために、自然全体を支配する権利さらには義務を与えてきた。このような考えが、現代の生態破壊へと至る自然に対する人間の尊大で攻撃的支配のイデオロギー的基盤になったと主張するのである。

 

自然への攻撃的支配は
近代以降の渇望の産物

このようなホワイトの影響力ある議論に対し、英国学士院より「バーキットメダル」を授与されるなど、世界的に碩学(せきがく)として知られるリチャード・ボウカムが、二つの方向から応答する。
一つは歴史的アプローチで、自然に対する攻撃的支配という近代プロジェクトは、前近代のキリスト教の伝統よりも、ルネッサンスに始まり近代初期につくりだされた新たなエートスに、より直接的につながっていることが、これまで十分認識されてこなかったと指摘する。

「創世記の支配を『完全な支配』とする解釈は、きわめて現代的な渇望から生じたものであり、それは人間の能力や自由な活動を制限する考えを一切拒否し、自然の束縛をすべて投げ捨て、世界を人間の思い描く通りに造り変えて、人間を自然界に対する一種の神にしようという渇望です。創世記のテクストをハイジャックして、科学的知識とテクノロジーによる搾取というプロジェクトにお墨付きを与えたのは十七世紀のフランシスコ・ベーコンです。その搾取が行き過ぎた結果、エコロジー危機がもたらされてしまったのです」(本書19頁)。

(ボウカム教授のこの部分の議論を日本語で紹介しているものとして、拙著『人生を聖書と共に|リチャード・ボウカムの世界』90〜99頁を参照されたい)

 

自然と相互依存関係に生きる
壮大なキリスト論的エコ物語

 

ホワイトの議論に対するもう一つの応答が、聖書的アプローチである。聖書が教える人間の自然に対する態度についてホワイトは一面的にしかとらえておらず、彼が指摘するところのキリスト教的態度の特徴を条件づけたり、バランスをとるその他の要素が無視されている。そこでボウカムは、人間とその他の被造物との関係を、聖書テキストにより忠実に、かつ創世記からヨハネの黙示録に至るより広い聖書の文脈の中で包括的に論じたのが、本書である。

第1章では、創世記1章の「地を従えよ」と「すべての生き物を支配せよ」という神の人間に対する命令を、聖書の冒頭の7日間の創造の記述の中において、その意味するところを検討する。そこからわかることは、私たち人間は神の創造の秩序の中にあり、他の被造物と同様に神の被造物共同体の一員である。したがって、人間の「支配」とは、被造物の「仲間としての他の被造物に対する支配」であり、それは神ご自身の被造物への配慮を反映するような、他の生物に対する責任あるケアを提供するという特別な役割を意味しているのである。

第2章では、ヨブ記を取り上げる。ヨブは自分に降りかかってきた苦難について神に様々な訴えを述べるが、神のヨブに対する答えは、人間の本来のあるべきところ、創造の秩序のなかに戻ることであった。それはヨブにとって、傲慢から謙遜への方向転換を意味し、痛みを伴うものであるが、同時に、神の世界の圧倒的な素晴らしさを体験する喜びを伴うものである。

第3章では、詩篇やエレミヤ書などを取り上げながら、神によって造られたすべての被造物(人間を含む)は、互いに関係しあい、依存しあう共同体であることを明らかにする。さらにこの被造物共同体は、「創造主への賛美」と、地球とその被造物の荒廃のための「創造主へのなげき」を共有する共同体である。

最終章では、あらゆるものの意味について語るための聖書のストーリー(「壮大な物語」)に焦点をあてる。それは、創造から新創造へと前進していく物語であり、重要な登場主体は、神、人間、その他の被造物の三者からなる。この聖書の壮大な物語は、人間と自然界とが相互依存の関係の中で生きることを前提にしている。さらに重要なのは、そのストーリの中核にイエス・キリストの生涯、死、復活、昇天のストーリーがあり、福音書の記者たちがしたように、世界のストーリーをイエス・キリストに関連付けることによって、より完全に意味を理解することのできるキリスト論的エコ物語なのである。

このように、人間と自然の関係について、ホワイトの一面的理解とは異なり、聖書は豊かで、かつ終末的希望に満ちた視点を提供していることを本書は見事に示している。

訳者は、ボウカム教授を尊敬し、かつ彼の神学を深く理解している山口希生氏であるゆえ、正確かつ読みやすい訳となっている。

クリスチャン新聞web版掲載記事)

ボウカム氏の講演は以下も参照

神の救いは全被造物に 気候変動問題に「神と隣人を愛する」視座 ボウカム氏 聖書的環境シンポで講演