6月25日、「日本の状況における宗教多元性と宣教」を主題に開かれた日本宣教学会第16回全国研究会議において、芦名定道氏(関西学院大学神学部教授)の基調講演に続き、四つの研究発表があった。その中から、神山美奈子氏(名古屋学院大学商学部准教授)の発表した「日韓プロテスタント宣教初期における『対象』の比較」の概要を紹介する。

 

【研究発表】

神山美奈子氏

関西学院大学神学部卒業、同大学神学研究科にて神学修士(Th.M)、神学博士(Th.D)。専攻は実践神学。在学中に韓国の延世大学校、梨花女子大学校に留学。現在、名古屋学院大学商学部准教授、日本キリスト教団教師。著書に『女たちの日韓キリスト教史』など。

 

日韓両国におけるプロテスタント宣教の主な「対象」に焦点をあて、特に朝鮮半島の「民衆」と「シャーマニズム」を中心に論じつつ比較考察する。両国におけるプロテスタント宣教初期の類似点と相違点から、私たちに向けられた「宣教」の課題を探る。

朝鮮では1885年、米国長老教会およびメソジスト教会より宣教師が派遣される以前の1883年には黄海道にすでに自立した教会が設立されていた。1870年代初めに満州に定着したスコットランド連合長老教会所属のジョン・ロスとジョン・マッキンタイヤーが、義州中心の朝鮮人商人の助けを借りて聖書をハングルに翻訳した。

それに対して、日本のプロテスタントが民衆層にいかに浸透し得なかったかについてはすでに常識的な認識となっている。日本キリスト教が明治期以来、中・上流階級の知識人のみを主体に受容されてきた点が、現在に至るまで日本におけるキリスト教不受容の大きな要因として挙げられる。
すなわち、日本においては「和魂洋才」に則って西欧の思想としてキリスト教を取り入れ、日本の歴史に直接的に介入してくるというよりも、近代化の流れにおいて西欧の文化を受容する過程にキリスト教も付随したと考えることができよう。この点が朝鮮と日本のプロテスタント宣教初期における大きな違いとして挙げられるだろう。

 

西欧文化として知識人に受容 日本
民衆を主体に歴史に介入する 韓国

 

両者の大きな違いは、朝鮮では歴史に介入する「神」と認識され、日本では文化としてキリスト教を受容したと澤正彦は分析した。朝鮮では「民衆」が対象となり、宣教の主体となっていったが、日本では「士族など知識層」が対象となり、主体となっていった。「民衆」概念のキーワ
ードとして常石希望は、「労働者階級」、「女性」、「農村」、「ハングル」、「大衆」を挙げた。朝鮮におけるプロテスタント宣教初期において主な対象が「民衆」であっただけでなく、その後のプロテスタント史において重要な役割を果たした主体が「民衆」であった。

1970年代の民主化闘争を背景に韓国の神学者たちによって提示された「民衆神学」における「民衆」概念にも通ずるものがある。韓国のキリスト教史家である李徳周(イ・ドクジュ)は、「力なき民衆は自分たちの生命と財産の保護を得ようとする『政治・経済的』欲求から、教会を選択する場合が多かった。

特に、専制封建主義という社会秩序が崩壊しかかっている時に立ち現れてきた両班(ヤンバン)官僚層による[民への]あくどき貧虐と不正、また外国の侵略に起因する社会・政治的不安という状況の下、民衆は自己保護の手段として教会を選んだのである。従って初期キリスト教共同体[教会]を構成した第一勢力は、このような民衆階層であった」と記している。

柳東植(ユ・ドンシク)は、朝鮮の歴史と自然、風土、文化という面において朝鮮社会に深く根付いてきたシャーマニズムとプロテスタント宣教について次のようにその関係を整理している。①キリスト教の神とその世界を容易に受け入れられるようにした、②あらゆる外来宗教の受容態度同様、キリスト教も現実主義的な除災招福の宗教として受容させた、③依他信仰性(信じさえすれば幸福を得ることができる)、④韓国教会の保守性(依他信仰性により新しい存在に至ることができない信仰は、伝統主義と保守主義、また、呪術信仰と律法主義に陥る)。

朝鮮土着のシャーマニズムにおける「全体の霊界を支配する最高神が存在するという観念」は、朝鮮の民衆にとってプロテスタント信仰を受容しやすい状況にした。①信徒宅への家庭訪問、②治癒行為、③異言の賜物、のようなシャーマンが従事してきた役割を教会の、特に女性伝道者が担うことで信徒に親近感や安堵感を与えてきた。韓国のフェミニスト神学におけるシャーマニズム分析は、プロテスタント教会での「女性」の役割がまさにシャーマンが担ってきた事柄であるとする。

朝鮮土着のシャーマニズムとキリスト教の関係性における課題として、柳東植は「個人の救霊運動には極めて熱心であるが、(略)個人の人格を形成している社会の正義に対する韓国の教会の関心はいつも希薄であった。これはシャーマニズム的な利己主義の心性が生活と信仰を支配してきたところに起こる結果」であると、批判的考察を加えている。「個人」と「社会」という言葉で表した柳の韓国プロテスタント教会に対する批判は、日本のプロテスタント宣教の在り方とも共通する点だ。

朝鮮では、最初の段階ですでに商人など労働者階級が中心となり、プロテスタントの教えが広がっていき、聖書がハングルに訳され配布された。さらには当時の朝鮮国内における政治的・社会的不満の爆発と、国外からの理不尽な侵奪に対して組織化された教会が圧倒的な力を持って広がっていった。その後、朝鮮では同族間による戦争と分断の結果、韓国では資本主義の流れが押し寄せ、日本同様にインテリ層やサラリーマンがキリスト者の中にも増加していく傾向を見せ、信仰形態も現世的な救い、個人的救いを求める動きが出てきている。その一方、本来の朝鮮におけるプロテスタント精神として、歴史に直接介入してくる神の存在が1970年代の「民衆神学」や朝鮮における「フェミニスト神学」の原動力になっている。

今後の宣教課題として第二世代の民衆神学者であり牧師である崔亮黙(チェ・ヒョンムク)は、韓国におけるプロテスタント信仰を「自己保護的な排他的信仰」と評し、(略)「教会の指導者たちは『聖霊降臨』を渇求する来世的復興運動の信仰と、現実における物質的祝福を渇望する信仰の結合」を解決方法として提案する結果となった。これにより「信仰の結果が物質主義的報奨と認識され、それが最も広範囲に説得力を有する教会の存在意義になった」と批判的に考察している。

クリスチャン新聞web版掲載記事)