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国際的なデジタル宣教ミニストリー「FaithTech」(フェイステック)配信の記事から再び数回に分けて掲載する。
(記事原題:Where Does Technology Fit in the Story of God?
A Theology of Technology for Coders and Artists. 配信元https://medium.com/faithtech

 

前回は以下記事とその記事内リンクから
☆悪を避けられないからこそ、 「弱さ」を「救い」に変える目を IT宣教の潮流・考察⑤
2022年07月03日号

 

2020年5月に開催されたFaithTechのGlobal Meetupで、ジョン・ダイアーが講演を行った。この記事は簡易的にその内容を編集したもの(記事原文は2部構成)。講演動画は(https://www.youtube.com/watch?v=pCVKkkBZ-IA

 

クリエイター、アーティスト、テクノロジストが教会に必要なのは、ただテクノロジーが物語を伝えるのに有用だからというだけではなく、実はテクノロジーが神の物語の一部を担っているからだ。

聖書を開くと、人の創造性が大きく関わっていることがわかる。冒頭には神の創造が描かれている。この創世記では空の鳥や海の魚が創造され、人は神の似姿に創造されたとある。これを取り上げると長くなってしまうが、私たちが神の似姿として造られたということは、つまりモノを創造するクリエイターであるということだ。

2章に入ると、この物語の中で特徴的なのは植物がない点である。その理由としては雨が降らないことも挙げられるが、それを耕し管理する人がいなかったからだ。この「耕す(Cultivate)」という言葉は、英語の「文化(Culture)」の語源となっている。

アートや音楽、テクノロジーなど、私たちが創造するものはすべて文化の一部となる。ある意味でこれは神による問いかけなのだろう。私が昔、床にレゴを広げ、子どもが何を作るかを楽しみにしたように、神はレゴのような被造物を人に与えて、その被造物から何を作るのかを楽しみにしている。

15節には「耕す」に加えて「守る」という言葉も使われている。この「守る」には「監視」や「保護」の意味が含まれる。つまり塔の門番のような振る舞いが求められるだろう。まさに、私たちは人や神の創造物の一部を守るために造られたわけだ。そして、この二つのバランスをうまく取ることが人の手に託されている。神に従う者たちが耕すことと守ることの両方に気を配り、全世界に出て行き創作を続けている。

罪と創造力

物語ではかなり早い段階で罪を犯してしまう。面白いことにリンゴは世界で最も偉大で価値ある企業の象徴であると同時に、人の堕落の原型でもある。企業名をつける時に、彼らはそのことを知らなかったそうだ。それはさておき、アダムとエバが罪を犯した時点で最初にとった行動は、逃げ隠れした後のある創造的な行為だった。このように物語の冒頭から人の創作は一部を担っていた。そこに神が現れると、二人の罪と蛇を呪った。そして仕事について語る。そこで彼らの創作に対して言ったことは「それをやめなさい」ではなく、「どうすればもっとうまくできるかを教えてあげよう。そして壊れた世界で、人が栄える方法を教えてあげよう」ということだった。

 冒頭から人の創造は物語の一部を担っていた

創世記では、創造して、そこに命を与えることができる存在が現れる。この行為こそが私たちに神が語っていることであり、それにはテクノロジーが役に立つ。この物語はイエスの働きに重なる。私たちは自分の罪を自分の行いで変えることはできない。それ以上のものが必要だと書かれている。そこでテクノロジーが偽りの神のような存在になってしまってはならない。神は、人が堕落による影響を回復し、神の救いに導かれるための手段として、テクノロジーを使う権限を与えているのだ。

カインと町

聖書を読み進めていこう。カインが町を築くが、そこには音楽や道具などのテクノロジーを役に立たない方法、つまり神以外のために使う人がいる。カインは神から逃れ、拒絶する。神や人々から逃れるための「反エデン」のような町を築こうとしたが、その時も神の創造力がカインの創造の内に働いていた。
イーロン・マスク、マーク・ザッカーバーグ、ジェフ・ベゾスなど、現代の偉大なクリエイターたちを見ると、彼らが主なる神と密接な関係にあるとは思えないが、ロケットを作って宇宙へ行ったり、火炎放射器を作るだけでも、彼らが行うことの多くに神の創造力が働く。これらは、何らかの形で神をほめたたえるために使うことができる。物語を進めていくと、神がこの世界で成し遂げようとしていることや、人の創造力をこの物語の中心的な部分にしていること、そしてそれを贖う場面を何度も目にする。(つづく)

 

講演者・ジョン・ダイアー(ダラム大学PhD):ダラス神学校の学部長兼教授。20年以上にわたりテクノロジー・クリエイターとして、Facebook、Google、Apple、Anheuser-Busch、国防総省、Digital Bible Societyなどで使用されているツール開発に携わってきた。彼のオープンソースコードは現在ウェブサイトの30%以上で使用される。信仰とテクノロジーに関して、ギズモード、クリスチャニティー・トゥデイ、ゴスペル・コーリションなど多くの出版サイトに寄稿しており、『From the Garden to the City』、『From the Garden to the City: The Redeeming and Corrupting Power of Technology』を執筆した。詳しくはhttps://j.hn/

クリスチャン新聞web版掲載記事)

この記事は国際的なデジタル宣教ミニストリー「FaithTech」(フェイステック)が発信する記事サイトから「FaithTech日本」の協力で翻訳掲載します。