フルート奏者の紫園香(しおんかおり)さんが、デビュー40周年を迎え、10月17日に東京文化会館で記念リサイタルを開いた。フルート奏者としての歳月はまた、ちょうど教会に通い始めてから今に至るまでの、その信仰の歩みと重なる。15年前からは教会の音楽伝道師としても働き始め、チャペルコンサートを自らの活動の柱として、今も全国の教会を巡って演奏を続けている。【髙橋昌彦】

チャペルでこそ一流の音楽を 西洋音楽は神への喜びが主題

フルート奏者としての経歴は華々しい。国際コンクール多数入賞、世界二十四か国でリサイタルなど、挙げればきりがないが、自主リサイタルは1985年以来今年で22回を数え、その半数以上を、クラシック音楽の殿堂と言われる東京文化会館で開いてきた。しかし、リサイタル直前の音楽雑誌のインタビューでは今までを振り返り、「思い出深いもの」として「チャペルコンサート」について語っている。
そのことを聞くと、次のような言葉が返ってきた。「私が東京文化会館にこだわってきたのは、クラシックの檜舞台で演奏する人間が、チャペルコンサートで伝道することを世に証しするためです。欧米ではチャペルでこそ一流のものが捧げられるのが当たり前ですが、日本ではチャペルコンサートは、ボランティアでするレヴェルの低めのもの、との見方が主流でした。音楽家自身も、自分の名誉のために、音楽を通して自己実現する図式が確立されています。でも音楽の真髄は神様の祝福、愛をお伝えすることです。それを是非クラシック界の演奏家にお伝えしたい。そうでないと、日本のクラシックはいつまでたっても贅(ぜい)沢品で、本当に神様の愛と祝福を必要としている人に届きません」
「西洋音楽からキリスト教を取ったら、その歴史は無いに等しい。なのに日本ではなかなか信仰の話が、クラシックの音楽家の間でもできません。例えばバッハの曲の中で主題が調を変え、手を変え、品を変え、何度も出てくる。そして再現部でその喜びはピークに達する。その喜びとは何なのか。それは、神様との本当の出会いが再び与えられたこと、その筆舌に尽くしがたい喜びが表現されているのに、理論が先行し、一番大事な部分が実感として伴わない。対位法(*)とて、宇宙の中での神様との関係から生まれたものだと言われています。賛美と祝福。それが音楽の根幹であることを、もっともっと伝えたいです」

握りしめていた「三種の神器」 手放した時 安らぎが

そう語る紫園さんには、音楽家としても信仰者としても、決して忘れられない経験がある。それはまだ、クリスチャンとしての信仰を持つ前のこと、二つの音楽会に行く機会があった。一つは超一流と言われる外来演奏家のリサイタル。大変華やかな演奏に、客席で思わず「ブラボー」と叫んだ。大満足で家に帰ったものの、翌朝起きた時には心に何も残っていなかった。もう一つは家の近くの教会で行われたチャペルコンサート。名前も知らない演奏者で、特に印象に残る演奏でもなかったのに、その時奏でられた賛美歌のメロディーは、一週間たっても、一か月たっても、ずっと心に残っていた。
「何だろう、何が違うのだろう」。そんな疑問を持ちながら教会の門をくぐったのは、そこで行われるフルート教室の講師としてだった。大学卒業を前に父の会社が倒産し、一家は離散。毎日あちこちの音楽教室で教えて、演奏活動の資金を貯め、リサイタル活動も何とか開始していたものの、ライバルたちの華々しい国際舞台での活躍のニュースが耳に届く。大学時代の指導教官から教会でのフルート講師の仕事を紹介されたのは、そんな時だった。
経済的危機に加え、愛する人との別離、果ては健康まで失って大きな手術を受け、演奏家生命の危機にも瀕していた。それまで自分が握り締めていた「三種の神器」(能力・経済的基盤・健康)は、「いざという時、なんの支えにもならない」と気づいた。でも、フルート教室の講師として門をくぐった教会で、自分の命が神に与えられ、神に生かされていることを知ることができた。「洗礼を受けましょう」との牧師の言葉に、「ついに捉えていただいたんだ」と不思議な安らぎが心に満ちてきた。

人生を捧げ日本のクラシック界とキリスト教の架け橋に

紫園さんの今の願いは、日本のクラシック界とキリスト教の架け橋になれるよう、残りの人生を捧げ尽くしたいということ、またチャペルコンサートこそ、質の高い内容の深い音楽が聴ける場として世に解放されていくために働き、その使命を継いでくれるよう、音楽を志す若者に「音楽伝道師」と言う選択肢を知ってもらうことだ。
おそらく紫園さんにとっては、極上の音楽を奏でることが、神様を賛美することであると同時に、そのまま神様の素晴らしさを伝えることなのだろう。「時空を超えて」と題された今回のリサイタルでは、18世紀のバッハの曲を中心に、20世紀のブラジル、チェコの作曲家の作品が演奏された。アンコールでは、出演者全員でバッハの「目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ」を演奏し、さらなるアンコールに応えて、チェンバロの伴奏で「アメイジンググレース」を演奏すると、右手で高く天を指差して、ステージを後にした。

Ⓒ武藤 章
*対位法:主旋律と和音という構造ではなく、複数の旋律を、それぞれ対等に、しかも独立性を保ちながら重ね合わせ、調和させる作曲技法。バッハの作品はその集大成と言われる。

クリスチャン新聞web版掲載記事)