吉田氏

 

「贖罪論を新約聖書神学から考える」をテーマにした福音主義神学会西部部会2022年度秋期研究会議の浅野淳博氏(関西学院大学神学部教授)講演(11月20日号ほかで既報)について、吉田隆氏(神戸改革派神学校校長)の応答の要約。

 

前回まで

☆「犠牲のシステム」論に浅野氏反駁 責任転嫁でなく責任〝自覚〟 福音主義神学会西部 2022年11月13日号

☆「贖いの代価」のメタファとは 福音主義神学会西部 浅野氏講演後半 2022年11月20日号

 

長く聖書学と教義学との間にあった断絶から、健全な相互関係を築こうとされていることを高く評価したい。この優れた研究は、福音主義信仰にとって心臓部とも言うべき贖罪論・救済論について、聖書の贖罪理解が決して単純かつ紋切り型のものではないことを精緻な議論によって明らかにした。「正典」としての聖書の贖罪論について、伝統的キリスト教贖罪論が〝代理贖罪〟という理解に偏りすぎていたとの指摘も、私たちに再考を促す。

その一方で、キリスト教贖罪論を、神殿犠牲のメタファに基づく「移行主題」=責任転嫁論と「啓発主題」という図式で展開することは適切かどうか。聖書そのものの論理というよりも、論駁(ばく)するための方法論に思われた。

聖書は「責任転嫁」も「神の加虐性」も教えていないという結論は、そのとおりだと思う。他方で、償いのための〝犠牲〟というメタファが単なる「啓発」というモチーフに解消されうるかだけは最後まで違和感を拭えなかった。

それによってメタファの力が失われ、その結果「罪」も「贖罪」も(それゆえ「命」のモチーフも)矮(わい)小化・希薄化させられるように感じたためである。償いのための〝犠牲〟のメタファは本来、人間の罪の暴力性と審判者としての神の正義、また代理性に基づく罪の赦しの〝リアリティ〟を指し示すものではないか。

イエスの死と命の意味は、きわめて豊かで多様である。本研究は、特定の誤解に対する〝弁証〟としての役割を果たしたが、聖書全体が持つ、より包括的な贖罪論についての積極的記述を期待したい。

キリスト教贖罪論は、複雑かつ多様である。「代理贖罪」は必ずしも〝中心〟とまでは言えないのではないか。古代教会にしても、悪魔への「身代金」理解以外にも、アタナシオスの「言の受肉」や、充足説、道徳感化説、模範説、刑罰代償説、(悪魔や罪への)勝利説など多様である。

改革派伝統の贖罪論について言えば、カルヴァンの贖罪論は、聖書の多様なメタファに基づいており、複雑かつ多面的である。『ハイデルベルク信仰問答』や『ウエストミンスター大教理』の贖罪論も、代理贖罪オンリーではない。

キリスト教の贖罪理解は、人間の救いにおける神の主権と恩恵性が中心であり、〝御子〟の死と復活という、前代未聞の独一的出来事に基づく神の無償の、つまりは神ご自身の犠牲による愛に根拠を持つ。誰かをいけにえにして「責任転嫁」させるのではない。

本研究は、今後贖罪論を論じる際には必ず考慮すべき視点と材料を提供している。同時にまた、聖書全体が多様なメタファを用いて述べる神の救済理解を、我々がさらに正確に読み取るチャレンジを与えるものである。【山口暁生】

2022年11月27日号 04面掲載記事)