律法と福音の関係をめぐる理解は、時として、深刻な緊張関係を生みます。救いに至る道として、律法を福音と混同すると、律法主義に陥り、自由への喜びが失われます。しかし、律法が指し示す神のかたちに造られた者の生きるべき真の姿を見失うと、何(罪)から救われ、どこに向けて(真の自由と神のかたちの完成へ)解放されたのかも見えなくなります。

 

この難しい問題も、中台師は、神様が下さる最高の祝福である真の自由へと導く道として、律法と福音の関係を捉える視点を示して下さいます。その言葉遣いは易しくも、確信に満ちた表現で、骨格の太い説教集となっています。

1章25節と2章12節に「自由をもたらす〈完全な〉律法」という御言葉があります。中台師は、神様の律法の働きの「完全性」を次のようにまとめておられます。

①まず、私たちの罪に気付かせ(完全な基準)、②この罪を私たちの為に背負い、罪の呪いと咎(とが)め、滅びの淵から贖い出して下さる主キリストへと導く。(完全な救い主・解放者へと導く)。③さらに、この王なるキリストの下さる光栄ある主のしもべの立場、地位にふさわしい「ロイヤル(最高かつ忠実)な生き方」(本書92頁)へと導く。ここに、キリストを鏡として、鏡の向こう側からキリストが歩まれた、完全な愛と自由を目指す歩みが立ち現れます。ここに、真の新しい王に仕える神の国(神の恵みの支配)の民の生き方があると、見事に、まとめて下さっています。

今も、弱さの中にある私たちですが、キリストに結ばれている者たちは、「その人格そのものがキリストを通して受け入れられて」いますから、「彼らの善い行いもまた、(不十分であっても!)キリストを通して受け入れられる」のです(ウェストミンスター信仰告白第16章6節)。御子キリストに結ばれた者の感謝の道の道標が、完全な自由への希望の内に、終末の完成目指しつつ、鮮やかに示されるのです。(評・坂井純人=日本キリスト改革長老教会 東須磨教会牧師、日本福音主義神学会全国理事長)

 

『見えない信仰を見える行いに ヤコブの手紙に聴く』

中台孝雄著、いのちのことば社、1,870円税込、B6判

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