碓井 真史 新潟青陵大学大学院教授/心理学者

彼女は生まれながらの宗教二世だった。彼女は信者である母親に捨てられないために、必死に母についていく。大人向けの集会にも、がまんして良い子になり参加。ハルマゲドンの教えは怖かった。母からのムチも逆らわず受ける。人前でパンツを降ろされ尻にムチを受ける。幼い時は痛みが、少し大きくなれば羞恥心が辛かった。
宗教外の友人とは遊べず、学校行事より宗教の集会が優先だった。表面上の強制はなかった。ただ、「この世の子と遊んでも、楽しくないわよね」「どちらの方が、エホバは喜ぶかしら」、そう言われれば従うしかなかった。彼女は大人になって脱会する。しかし今も、精神的な不安定さと母との不仲に苦しみ続けている。
注目されている宗教二世の問題。昨年末、厚生労働省は宗教を背景とした児童虐待への対応指針を取りまとめた。「地獄に落ちる」などの脅しや体罰で宗教活動を強制、友人らをサタン視し交友関係を制限、教義による進路や結婚の制限、他者の前での信仰宣言の強制、学校行事参加の制限、医療機関受診の制限、マンガやゲームなどの娯楽の全面禁止、これらは宗教虐待だ。つまり、宗教を理由として子どもの自由意思を損ね、宗教を強制することは虐待とされたと言えるだろう。
大人の側が、強制や脅しなどしていない、これは体罰ではないと言っても、言い訳にしかならないときもある。厚労省は子どもの側に立って判断すべきとしている。ただし、もちろん子どもへの宗教教育が一切禁止ではない。我が子への宗教教育、教会学校での宗教教育に自信を持ちたい。

ポイントは「悲しみ」強制でなく共感を

私たちは、命を大切にすることを子どもたちに教える。一人ひとりが価値ある人間だと教える。泥棒や殺人はいけないことだと教える。互いに愛し合い、誠実に生きることを教える。葬儀や結婚式に、きちんと参加することを教えるだろう。教育基本法の第9条でも、公教育においてさえ「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない」とされている。望ましい宗教教育なのか、宗教虐待なのか、それは社会通念上から見た総合的判断だ。
しかし、宗教的熱心さだけでは虐待になりかねない、、、、、、

2023年01月22日号 03面掲載記事)