【イースターメッセージ】聖書的〝温故知新〟の生き方 佐々木宏光
イースターメッセージ 佐々木宏光 日本ルーテル同胞教団 愛子中央キリスト教会牧師
新しいものへの抵抗感
イースターおめでとうございます。
この挨拶が日本に定着する日を心待ちにしている。
私たちの教会で夕拝があり、いろいろなテーマで話をする。先日、「好きな四字熟語」というテーマで語り合ったときに、自分が好きな四字熟語を話した。「温故知新」という言葉だ。昔の事を学び、新しい知識を得ていくという意味が込められている。自分が小学生の時に出会い、言葉の響きも好きだったが、意味を知り余計に好きになった。
日本は閉鎖的な社会と言われる。新しいものを取り入れるのにある種の抵抗感がある。地方に行けば行くほど、その抵抗感はさらに強くなる。新しい環境に入っていくことがどれだけ難しいことか。都市部に引っ越すよりも、地方に引っ越していくことの難しさというものをとても強く感じさせられる。教会もそんな姿がないだろうか。善か悪か、何が正しくて何が間違っているのか。私たちはその二者択一の社会の中で生き、価値観を植え付けられている。
「良い知らせ」を信じる
イエス・キリストが宣教を開始したとき、「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1・15)と語られた。
当時、パリサイ人たちや律法学者たちは、何が正しくて何が間違っているかを判断する人たちであった。聖書に照らし合わせ、一言一句確認し、ここまでは正しいと判断を下し、罪を指摘してきた。神の言葉を「守ること」が彼らの信仰であり、生きがいでもあった。
正しいことをしていると信じていた。彼らは旧約聖書に預言された救い主の誕生についても信じていたし、私たちが考えるよりもはるかに強く願っていた。が、そこで止まってしまっていた。古い知識、昔のことを学びはしていたものの、新しい知識を得ることを止めてしまっていた。
そのようなパリサイ人、律法学者たちから罪を指摘されていた人々に対し、主イエスは「福音を信じなさい」と語られる。
福音とは良い知らせである。古代ローマでは勝利の凱旋(がいせん)であり、勝利の知らせであった。勝利とは言わずもがな敵を打ち破ることで得られるもの。だが、長く苦しめられてきたイスラエルにおいて、使徒たちまでもが復活の主を目の前にして「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか」(使徒1・6)と語る。
彼らは敵を見誤っていた。しかし聖霊が臨むことで、使徒たちは「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい」(使徒2・38)と、語る内容が変わった。新しくされたのである。
主にあって変えられる
「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Ⅱコリント5・17)
私は変われないと思っていた。引っ込み思案で、人前に立って話をすることも苦手だった。極度の緊張家だった。この私は変わったのでは無く、変えられた。主にあって新しく造り変えられた。聖書に記されている使徒たちはみな変えられた。それは復活の主と出会ったからだ。
外国人と交流することがあるが、日本の教会は十字架について語るが、復活があまり語られないと聞かされる。罪を説き、罪の赦しを語る。そこで終わってしまっていると言うのだ。新しいいのちに生きることが語られなければクリスチャンは日々反省の生涯に生き、パリサイ人たちの様な生活をすることとなる。
温故知新とは聖書以外の教えを取り入れよということではない。聖書の土台に立ち、自分の思っていた固定概念とは違うものを受け入れ、勝利者なる主イエスと共に歩むこと。この価値観に立つとき、自分のみならず、教会までもが新しいいのちに生かされる。喜びに満たされて進もうではないか。
(2023年04月09日号 01面掲載記事)
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