【特集】「自分たちだけが平和」はありえない 書評『非暴力による平和創造 ―ウクライナ侵攻と日本国憲法―』
『非暴力による平和創造 ―ウクライナ侵攻と日本国憲法―』
木村公一 著 四六判・128頁 いのちのことば社 定価1,210円(税込)
戦場を歩き、平和を考える。『非暴力による平和創造−ウクライナ侵攻と日本国憲法−』(木村公一著、いのちのことば社)が発刊された。平和問題にも取り組む小塩海平氏(日本キリスト教会東京告白教会長老、東京農業大学教授)が書評する。
【評者】小塩海平(こしお・かいへい)
1966年6月23日、静岡県浜北市(現・浜松市)生まれ。95年東京農業大学大学院農学研究科博士後期課程修了、農学博士。現在、東京農業大学国際農業開発学科教授。日本熱帯農業学会評議員、国際東南アジア農学会編集委員長。日本キリスト教会東京告白教会長老。専門分野は熱帯園芸学、植物生理学。主著:『花粉症と人類』(岩波新書、2021)、『農学と戦争』(足達太郎、藤原辰史との共著、岩波書店、2019)など。訳書:『ディアコニアとは何か』(ヤープ・ファン・クリンケン著、一麦出版社、2003)などがある。
戦地での対話に基づき、憲法を吟味する牧師の書
8月を迎え、私たちはあらためて平和の大切さを噛(か)み締め、二度と戦争を起こしてはならないとの誓いを新たにすべく、その覚悟を問われている。しかし、平和を作り出すために、具体的にどのように生きればよいのか、第二次世界大戦後78年を経て、いまだに試行錯誤しているのが実情ではないだろうか。
戦争世代がわずかになり、世界各地で戦闘が絶えない現状の中で、国内では軍事予算が倍増し、相手地域への攻撃能力が装備されつつあるとともに、日本国憲法を変えようとする政治勢力が気勢を上げている。もはや新たな戦前になっているのではないかという焦燥感や諦観が、私たちを波状的に襲ってくる。
このようなときに、木村公一牧師による『非暴力による平和創造−ウクライナ侵攻と日本国憲法−』がいのちのことば社から出版され、私たちに非暴力による平和創造について、具体的な指針を示してくれたことに心から感謝したい。
木村公一牧師は、17年間インドネシアで宣教活動に当たられ、現地で戦時性暴力の被害者たちと交流や対話を続けてこられた。また、イラク戦争の時にはバクダッドの変電所で「人間の盾」として非暴力による抵抗活動に参加され、今般のロシアによるウクライナ侵攻に際しては、2度にわたって現地を訪問されている。
この本は、そのような稀有な体験に基づいた平和を希求するための現地レポートであるにとどまらず、著者が、どのような原理に基づいて平和を作り出すための生き方を続けてきたのかを、いわば自己解剖するかのように提示してくれている唯一無二の著作といってよい。キリスト者に限らず、平和を作り出したいと考えているあらゆる人に読んでもらいたい名著である。
木村牧師が最初に戦争に接したのは、日露戦争から「廃兵」として帰還した祖父を通してであった。「戦争は地獄だ」と語りながら、失明した右目に手を当て、最後には塞ぎ込み、沈黙する祖父を通して、木村少年は戦争の暗黒面を覗(のぞ)き込み、爾来(じらい)、生涯を通して、祖父が幼い孫に語り切ることができなかった戦争の罪と悪に対峙(たいじ)することになる。本文の冒頭で、木村牧師は、自分は東西冷戦の初めに生まれ、朝鮮戦争以来ずっと続いている「世界戦争」の世紀を生きてきたと規定している。
私たちは、気息奄々(えんえん)たる状態ではあっても、日本国憲法はいまだに生きており、第二次世界大戦後、実際に戦闘は行われず、平和が保たれてきたかのように認識しているのではないだろうか。
しかし、、、、、
(2023年08月13日号 06面掲載記事)
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