《紛争解決のミッション》紛争下の世界における使命としての平和と和解
ガザの戦闘で犠牲者が増え続けるなか、ローザンヌ運動が5月のグローバルアナリシス(分析)で、紛争解決を使命とするパレスチナ人とユダヤ人の神学者の論文を掲載した。ここでは、ナザレ平和研究センター所長のルーラ・マンスール氏の論文要旨を紹介する。
https://lausanne.org/global-analysis
【記】ルーラ・クーリー・マンスール
パレスチナ系イスラエル人の弁護士・神学者。ナザレ平和研究センター創設者兼所長、ナザレ福音主義大学で和解神学とキリスト教倫理の准教授。英オクスフォードミッション研究センターで平和研究の博士号、テルアビブ大学で紛争解決の修士号、ヘブライ大学で法学の学位を取得。
赦しと癒やしのために真実の共有が重要
根深い暴力的状況の中で、和解は単なる素晴らしい考えではなく、絶対に必要なものだと信じている。和解こそが紛争の連鎖を断ち切り、イスラエル人とパレスチナ人が平和的に共存できる未来を創造するカギだ。私は和解を神の使命と理解している。それは神がキリストを通して地上に王国を樹立し人間の失敗に対応することを反映する。
キリストに従う者たちは人類の回復に積極的に参加し、苦しみに対処し、不正義に立ち向かうことを求められている。真実、
赦し、正義、癒やしの変革の力を通して、私たちは、希望が絶望に打ち勝ち、和解の約束が最も暗い対立を照らす新しい世界の夜明けを垣間見る。
和解
和解にはさまざまな意味がある。旧約聖書では「シャローム」と結びつき共同体内の正義と愛を強調する。ヘブル語では、初期のラビ時代から「世界を修復する」ことを意味し、新約聖書では神と人類の間の敵対を克服し、終末論的な「シャローム」へと導くキリストの御業に関連している。
政治的な言説においては、和解は過去の敵対関係を脇に置き、かつての敵同士が未来において協力することを意味する。実際、経済的公正と権力分立の基盤を提供する効果的な統治を支える環境を構築するためには、和解が不可欠である。政治と和解は、相互に依存し合うプロセスだ。
真実を語る
第九戒は偽りの証言をしてはならないと指示しており、神の性格を反映するために真実を語るという道徳的原則を強調している。真実であることは、他者を正当に扱うことであり、争いを避け、和解を促進するために不可欠である。
真実を語ることは、癒やしと正義のために極めて重要であり、争いの歴史に向き合い、不義を認め、赦しの雰囲気を作り出すことが含まれる。長年の紛争では出来事がわい曲されて神話のような過去が作られ、集団は敵の残虐行為を誇張する一方で、自分たちの過ちは軽視する。この「被害者意識のエゴイズム」は平和への努力を妨げる。何が「本当に」起こったのか、なぜ起こったのか、真の加害者と被害者は誰なのかについて、集団間で意見が対立する。
過去を無視することは和解にとって深刻な障害である。健忘症は被害者の痛みを否定し、加害者の否認を助長し、将来の世代から学ぶ機会を奪う。告白を通して真実を認めることは被害者の癒やしに大きく貢献する。争う余地のない文書化された真実の記録は暴力の連鎖を終わらせるために重要であり、共有された物語または少なくとも互いに認め合う様々な歴史を生み出す。世界中で行われている真相究明委員会の正当性は、主要な集団がその公平性を信じるか否かにかかっている。
記憶と忘却のバランスをとることは不可欠である。過去に過度に焦点を当てることは分断を永続させるが、過去を思い出せない者はそれを繰り返す。記憶は賢く利用されれば早期に警告を与え、癒やしを促進する。例えば公共の記念碑や芸術などを通じて過去を公に認め記憶を共有することができるかもしれない。
赦しは真実を語ることを促す。長年の紛争においては、争いの真の本質を認めることが重要であり、コンセンサスが高まることを期待する。
赦し
大量殺人のような恐ろしい出来事の後では、赦すことは難しい。生き残った被害者は加害者を赦すべきだと提案することは、紛争がまだ続いている場合には不快感を与える。しかし、癒やしと和解に赦しは不可欠である。共有された真実が説明責任を可能にし、共有された未来への土台を作る一方、赦しは復しゅう心を捨て、敵意を修復し、新たな共有された政治的共同体を構築する。
キリスト教において赦しは神の模範とキリストの教えに根ざしている。私たちは赦すとき告発し、正義の正当な主張を確認する。赦しは体系的な不正義に立ち向かい、公正で和解した世界を目指す。これは犠牲と努力を要求するが癒やしと解放をもたらし、暴力の連鎖を断ち切る。赦しは真実と正義の触媒として機能する。正義だけでは過去の不正義に対処する力がないが、赦しは不正義の原因を取り除くことを求めるからだ。
赦しとは敵意と和解の間にある空間であり、そこでは不正行為によって作られた敵意の壁は壊されるが、和解そのものには完全には到達しない。このニュートラルな状態にとどまることを好む人もいるが、赦しは破壊的なパターンを超えた新しい何かを想像しながら、関係の回復を目指す。
赦しは真実と正義のための触媒として機能する。正義だけでは過去の不正義に対処する力がないのに対し、赦しは不正義の原因を取り除くことを求めるからだ。
記憶は赦しにおいて重要な役割を果たす。記憶することで、私たちは否定することなく出来事を処理し、現在と未来に照らして再生し、解釈することができる。このプロセスは癒やしに貢献し、「敵の人間性」に共感を生み、寛容を可能にし、加害者が自分を赦すことも可能にする。キリストは私たちに過去を忘れるよう求めるのではなく、過去を贖うために来られたのだから、「赦して忘れる」ことは「思い出して赦す」ことなのだ。
正義
不正義に対する預言的な非難は、キリスト教信仰の性格に刻まれている。それにもかかわらず、和解は、正義が行われ、敵意の原因が取り除かれたことに基づいているのではなく、正義を達成し、平和のうちに生きるための道筋を作り出すものである。聖書の正義は、罪人を寛大に贖い、回復させる。正義を人間関係の回復という観点から理解するならば、慈しみは正義に奉仕する。
和解は正義なしには達成されず、赦しは正義を否定するのではなく「奮い立たせる」のである。正義は赦しの文脈の中で追求されなければならない。赦しと罰を組み合わせることで、過去からの障害を取り除き、現在の平和のための条件を作り出すのである。
調停に基づく修復的正義、訴追に基づく応報的正義、真相究明委員会によって生み出される歴史的正義、賠償によって達成される補償的正義など、正義には様々な顔がある。長期にわたる紛争において、これらの正義の種類を統合することは複雑だが真の和解のために不可欠である。
修復的正義は過去の非人間的な慣習を否定し、壊れた関係を癒やすことに重点を置き、正義と和解の間の協力を促進する。その目的は三つある。 つまり、残虐行為に関する議論の余地のない記録を確立すること。虚偽の言説を暴露し、その罪を認定し、尊厳を回復することによって被害者の被害経験を確定すること。加害者の責任を追及し、事実の歪曲を防ぎ、正義と和解が確実に一致するようにすること、である。応報的正義は個人の責任を追及するために重要である。紛争後の社会では証拠の収集が困難なため、しばしば課題に直面する。起訴の成功率が低い紛争地域ではその効果は低い。紛争においては、正義、赦し、政治的平和のバランスをとるという倫理的課題が生じる。
現実的には、厳格な応報的正義が平和への努力を損なう場合、赦しは極めて重要である、、、、、、
(2024年06月02・09日号 11面掲載記事)