白方誠彌 先生

―ホスピス設立の強力な協力者―

白方誠彌(せいや)先生は脳外科の専門医で、もと淀川キリスト教病院の院長(1978〜96)であった。同病院でホスピスをスタートさせるに際し、強力な推進役であった。先生は神戸大学医学部の脳外科助教授であったが、淀川キリスト教病院の強い希望で、院長として赴任された。その経緯については、2022年に出版された先生の著書『誰かのために生きてこそ』(幻冬舎)に詳しく述べられている。

白方誠彌氏(右)と筆者

日本で初めてのホスピスプログラムは1973年に淀川キリスト教病院で始まった。末期の患者さんを医師、看護師、ソーシャルワーカー、チャプレンなどのチームでケアを始めた。白方先生はこのプログラムを院長として全面的に応援してくださった。チームケアを続けていくうちに、私をはじめチームメンバーに、ぜひホスピス病棟が必要であるとの熱い思いが出てきた。それで私は早速、当時唯一のホスピス病棟のある聖隷ホスピス(静岡県)の見学に行った。新病棟の一階にあるホスピスは明るく、広く、静かで、温かい雰囲気をもった素晴らしい空間であり、我が病院にもホスピス病棟をという思いが強くなった。
見学後すぐに白方院長に、予定されていた病院建て替え時期にあわせて、新病院の一階に〝ホスピス病棟〟を造っていただきたいとの希望を伝えた。院長は「ホスピス病棟を造ることは大賛成です。ただ、一階に造るのは難しいかもしれません。すぐ調べましょう」と言われ、新病院の設計図、杭(くい)、木槌(きづち)、ひもを持って、建設予定地へ行った。その行動の早さに私は大いに感動した。設計図を見ながら、ホスピス病棟の予定地に杭を打ち、ひもを張った。個室20床のホスピス病棟には狭すぎることは明らかであった。私は「無理ですね」と言った。白方先生はすぐさま、「ホスピス病棟は新病院の上に積み上げて造りましょう」と言われた。私にとっては想定外の発想であった。先生は「新病院は6階建てですから、その上の7階に病棟を造れば、20床前後のホスピス病棟ができますよ」と言われた。私は思わず、「すばらしいアイデアですね」と言った。
白方先生の強力な推進のお姿についての一つのエピソードを記したい。淀川キリスト教病院でホスピスケアをスタートさせた1973年ごろは、ホスピスを知る人はまだ少なかった。ホスピス病棟を造るには理事会の承認が必要であった。理事会では、時期尚早ではないか、赤字になることが考えられるが、それはどうするのかなどの意見が出た。すんなりOKが出ると予想していたので、そうした反応に私はやや困惑した。ここで決まらなければ前へ進めない。話し合いは続いたが、なかなか承認という空気が感じられなかった。しばらくの重い沈黙の時間が流れた後、白方先生が「責任をとる柏木先生が、これほど熱心に取り組んでおられるし、キリスト教病院として神様の御心に沿うものであり、時代の先駆けとなるホスピス病棟をぜひ造りたいと思います。ご賛同ください」と言われたのである、、、、、、、

2024年07月07日号 03面掲載記事)