鹿児島は寺が極端に少ない、ということをご存知だろうか。明治政府の神道国教化政策として仏教を排斥する運動が行われた。その中でも鹿児島は激しい廃仏運動があり、当時の薩摩藩にあった寺院がすべて壊された。その影響もあり今も鹿児島の寺院は約460か所、と全国でも下位になる。寺は少ないが、反面、宗教では別の勢力が強い。薩摩藩の第11代藩主・島津斉彬(なりあきら)を祀(まつ)る照国神社は県内では非常に有名であるし、また祖先崇拝が盛んだ。人々は墓地に足しげく通い、墓には絶えず生花が供えられているという。
このような鹿児島事情を教えてくれたのは、日本同盟基督教団鹿児島いずみ教会の瓜生(うりゅう)園子さん。瓜生さん夫妻が鹿児島に来たのは2018年。夫は牧師、園子さんは伝道師として、教団の中では鹿児島県初の開拓教会がスタートした。

瓜生牧師一家
鹿児島いずみ教会外観

鹿児島市内には大型のショッピングモールがあり、何でもそろう。教会も市内の大通りに面した便利な場所にある。夫妻にとって子育てしつつの鹿児島での暮らしが始まる。
「こちらの人はあたたかく、子育てしやすいところだと思います。転勤で来た方々も同じようなことを言います。赤ちゃん連れにすぐ話しかけてくれて、親切でやさしい。そのような中で人間関係を作っていきました。ゼロからの開拓の中で、子どもを通じての人々との関わりは大きかったです。地域の子ども向けのイベントで知り合いになった方が、わたしの開く、〝なんちゃって〟英会話のクラスに顔を出してくれました。教会に行くというより、わたしの家に遊びに来るような気軽な感じで集まってくれました」
このような中で人々と関わりを持つようになっていくが「神の民が備えられていた」と感じている。「昔、教会学校に通っていたことがある、とか、体調やいろいろな理由で遠くの教会に通えなくなってしまった、というような方が来られ、またその方たちのつながりでお友達が来られ、といったことの連続でした。私や私の家族だけでは到底広がらないつながりでした。神様が働いてくださったと思います」
また教団のバックアップも大きかった。毎年教団主催のキャラバン伝道チームが来て子ども会を開いたりトラクトを配布してくれたりしていた。しかし20年の1月から始まったコロナ禍。教会での活動がだんだん停滞していくように感じた。21年にはチームが来られず、チームの隊長である牧師が一人で来てくれた。
「でもその隊長が配ったトラクトや折り込みチラシなどを見て、びっくりするくらいたくさんの方が教会に足を運んでくれました。そしてそのとき来られた方たちが現在の教会のコアメンバーに。神様はそのようなこともしてくださったのです」

思惑を超えた神との交わりが魅力

教会には家族単位で来ている信徒が多く、大人も子どもも一緒に和気あいあいとした雰囲気。
「いろいろな経験を通して心が弱ったり、渇ききってやってくる方もいます。でもそのカラカラに渇いてしまったいずみが再び湧き上がっている様子がわかるのです。『いずみ教会』という名前の通りになってきているなと思います。またこれからもそういう教会であり続けたい」
それぞれが豊かな賜物を持っていて、生かしてくれている。「礼拝の中の子どもプログラムの奉仕者がいない状況を見て、これまで子ども向けの奉仕の経験のない方が取り組んでくださいました。その方がより聖書に触れる機会が増え、喜んでやってくださっているのを見て、賜物が引き出されているんだなと、、、、、

2024年07月21日号 08面掲載記事)