私の3・11~10年目の証し「伝承」への危惧

「あなたは東日本大震災発生時、どこにいて、何を思いましたか…」。東日本大震災10年を迎える2021年、震災の体験や記憶の継承をテーマに、3組4人にインタビューをした7回目。【高橋良知】
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会津若松市の高橋拓男さん(ミッション東北会津聖書教会牧師)は、埼玉県出身の由佳さんが会津での支援活動に継続的に参加したことをきっかけに結婚に導かれた。埼玉の教会は定期的にバザーなどを催し、資金的に由佳さんの活動を支えた。心にとめた聖句はローマ12章15節。当時勤めていた教会の保育園の子どもたちや保護者にも、機会を設けて、被災地の人々の状況や思いを伝えるようにしていた。
拓男さんは「原発から避難した人々の思いは計り知れない。その気持ちを理解できるようになってきたのは、5、6年してから」と言う。「皆さんがポツリポツリ個人的な思いを語り出しました。今も相談事で教会に来てくれることがあります」
震災直後、大熊町の人を中心に、会津若松市に数千人が避難をしていたが、今は600人程度。初期にかかわった人のその後はほとんど分からない。「仮設住宅から災害復興住宅や一般の住宅に移り、順調に見えるかもしれないが、仮設時代にかろうじて残っていた隣近所との付き合いがなくなり、別の苦しみに移行している感じがある。さらにコロナ禍で、集会所での集まりがなくなったため、一層孤立感を深めている状況」
「これからの支援で大切なことは、過去を忘れないこと」と話す。「あまりにも大規模な災害で、振り返る機会はなかった。過去に何が起きていたのか。それを整理して、記憶に刻み込む。それが今後のかかわりで大切だと思っています」
インタビュー(Zoom)終盤になると、待ちくたびれたのか3歳の娘さんも顔を出した。拓男さんは、次世代に震災を伝える上で危惧していることがある。近年県内にできたいくつかの原発関連の伝承施設に現れる「方向づけ」だ。「ある施設では、放射線は自然にも存在するので、原発の放射線も心配ないと結論づける。ある施設では、被災体験を伝承する『語り部』がいるが、特定の団体を非難しない契約。そうすると国、政府、東電の責任を、、、、

(この後、震災が次世代にどのように伝えられていくかの危惧を語ります。2021年3月7日号掲載記事