【連載】私の3.11~10年目の証し 第四部仙台での一週間② 通信困難な中、安否確認
写真=2012年の「年報」
東日本大震災発生時、学生だった私(記者)は、当時所属していた仙台福音自由教会(以下仙台教会)の震災支援活動に合流した。引き続き震災発生前後の仙台教会の状況を振り返る。【高橋良知】
前回まで
連載各部のリンク
第一部 3組4人にインタビュー(全8回 1月3・10合併号から3月14日号)
第二部 震災で主に出会った (全4回 3月21日号から4月11日号)
第三部 いわきでの一週間 (全16回 4月25日号から8月22日号)
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女性向けの集会「シャロンの花」が終了した後、田真知子さん(田耕三牧師の妻)は、教会員の送迎から戻る途中、県道北環状線の大通りにいた。突然信号のライトが消えた。「電線がバタバタ揺れ、看板がガタガタとし、みな車を止めてしばらく様子を見ていた。教会に戻ると、主人や門谷信愛希先生(副牧師当時)と教会員の何人かの方々がいました」
庄司弘子さんは、「シャロンの花」が終わった後、三女が通所している就労施設のカフェで休憩をしていた。地震時は、外の庭に出て、芝生をつかんで祈った。揺れが収まってテーブルに戻るとカップのコーヒーは残っていた。「1978年の宮城県沖地震は縦揺れで、ガタガタと建物が崩れた。今回は横揺れで浮いている感じがあった。大きな被害はないと思っていました」。余震が続き、利用者たちは外に避難。娘を連れて自宅の安全を確認し、乳飲み子を抱えた長女の家でしばらく過ごすことになった。
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2012年発行の仙台教会の「年報」には、教会員による震災体験の手記が載っている。揺れの中で転がりそうだった職場の同僚を抱え、「神様」と叫んだ人、自宅で家具が倒れる中、かろうじて脱出した人、出張先から帰れず立ち往生した人、近隣でおびえた人をなだめたり、民生委員として地域の安否確認をした人もいた。
「幸い、教会員の中には人的被害はありませんでした。ただし、ご家族や親族に津波の犠牲になった方や、家を失った方々が幾人かおられたことが後になって判明したことは、大きな痛みでした。また、住居が半壊や一部損壊の判定を受けた方が大勢おられました」(2012年「年報」)
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地震発生後しばらくして雪が降りだした。教会にいた深澤まり子さんは公衆電話で息子と連絡し、車で迎えに来てもらった。逆方向だったが帰る足のなかった教会員も送った。信号は止まり、道路はところどころ損傷していた。自宅では戸棚の中の食器やガラスが割れて飛び散っていた。「夫が床に新聞紙を敷いていた。危ないのでスリッパをはいて過ごしました」
真知子さんは教会の状況を確認して、自宅に戻った。「次女が一人家にいて、飼い犬が飛び出して戻すのが大変だったという」。長女、長男は学校勤務、三女を看護学校から帰すために危険な道を車で迎えに行った。教会員の安否確認などをし、その夜はロウソクの明かりで一夜を過ごした。
教会にいた広瀬志保さんは教会に泊まることも考えたが、マンションにいる母のことが心配で帰ることにした。
広瀬さんは前年9月に留学先のパリから帰国した。パリの日本人教会で教会生活をし、献身を決意。帰国後、地元で教会生活をしようと仙台教会につながった。3月14日には神学校の入学試験を控え「教会献身者」という名目で教会のあらゆる集会に出席していた。
交通機関はマヒしており、自転車を借りて、7、8キロある市街地の実家まで帰った。「母は愛犬とともにソファでぼんやりしていた。私が帰ると、はっと我に返った様子だった」と振り返る。その夜は同じマンションのフロアの人たちも部屋に集まり、ランタンを囲み、それぞれの家から持ち寄った菓子などを食べた。
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当時日本福音自由教会協議会会長だった服部真光さん(名古屋西福音自由教会牧師当時、現大治福音自由教会牧師)は、3月11日夕方、卒業式に参列するため、名古屋市の神学校にいた。そこで震災の号外を見、宮城にある教会を心配した。
「何かしなければいけない」。服部さんは2月に同協議会会長に就任したばかり。引き継ぎも途中という中で決断が迫られた。名古屋に事務所があった日本国際飢餓対策機構(ハンガーゼロ)のスタッフとは日頃から交流があり、電話した。2日後に第一陣の救援隊を派遣するという。「ぜひ仙台、古川の教会の様子を見てほしい」と願った。福音自由教会と日本国際飢餓対策機構で連携を模索することになる。
仙台では停電のため固定電話はほとんど使えず、携帯電話も発信制限があった。教会の活動グループ「セル」ごとにメールで情報を集めてもらった。高齢者や連絡が取れない人の所には田牧師と門谷牧師で手分けして回った。夜までには9割の安否が判明した。門谷牧師は「メールによる連絡網は未整備だったが、セル単位で安否確認を分担して並行的に進めることができたことは効率面で非常に良く、迅速に状況把握ができた」と振り返る。(つづく)