映画「誰かの花」奥田裕介監督に聞く――自分だったらどうするか?を問う映画です
ある団地で暮らす認知症の父と介護する母を気遣い訪ねてくる鉄工場勤務の青年。風の強いある日、5階ベランダから落下した植木鉢が当たり死者が出た。青年は、もしかしたら父が加害者ではと疑念を抱ていく…。亡くなった被害者遺族の深い喪失感や被害者がいつか加害者になりうる危うさなど、見て見ぬふりへと心が揺らぐ“知られざる罪”の顕れを、日本社会の象徴的な団地を舞台にサスペンスフルに描いている。横浜市の老舗ミニシアター「ジャック&ベティ」創立30周年記念企画作品「誰かの花」を撮った奥田裕介監督に話を聞いた。【聞き書き:遠山清一】
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2017年の「世界を変えなかった不確かな罪」に次いで本作が2作目の劇場公開長編作品。前作の編集中に身内が交通事故で亡くなり、その喪失感などもあって脚本が書けなくなるジレンマに苦しんだ。そうした経験などが、主人公・孝秋(カトウシンスケ)の兄が交通事故死していたり、落下した植木鉢が当たって亡くなった男性の妻子の心理と行動など、本作の構成と展開にもつながっているという。
「事件・事故とか老々介護とかは、普通に誰もが被害者・加害者の当事者になりえる怖さがある。被害者家族が加害者になった時、心がどう動くのだろうと思った」と、認知症の父が加害者かもしれないと推察した孝秋青年の心情と行動へと展開する。「自分だったらどうするか?と考える映画だと思います」。
認知症の孝秋の父が
ミステリアスな存在
認知症だが孝秋の父・忠義(高橋長英)の言動が、本作をミステリアスな物語へ導いていく。また、植木鉢の直撃で亡くなった男性の息子・相太(太田流星)が大人たちや団地を見つめるまなざしが何かを見透かしているようで緊張した空気感を漂わせていく。
「僕の叔父が認知症なんですけれども、『今日は巨人が強かったので詰まんねぇ』というので、今日は調子良さそうだな、と思っていたら『そうだ、家の屋根を直さなくちゃなぁ』と以前の話しを言い出したりする。とか、そういうのがあって、この作品の、被害者と加害者、その当事者になる可能性というのと、叔父の認知症ということなどが繋がってきて今回の作品ができたのかなと思います」。忠義の妻・マチ(吉行和子)や介護ヘルパーの長谷川里美(村上穂乃佳)、相太らの存在と様々な立ち位置からの見方が印象深い。「今回の映画では、視線とか目線というのをテーマ一つに置いていました。相太の視線とか、孝秋が窓から団地を見ているシーンとか、それらから“見る者と見られる者”とか、逆さまの視点とかを意識しながら演出していました。を意識しながら様々な視線を意識していました」。
孝秋の良心のうずき
孝秋は、両親を親身に介護してくれるヘルパーの里美も、父・忠義が加害者ではないかと疑い始めると忠義を擁護しようする。ヘルパーの里美も、認知症とはいえ忠義への疑念を確かめようとしない孝秋の態度を「絶対に間違っていると思います」と責める。そこには彼女自身も“見て見ぬふり”をしようとしている咎めとか、”知られざる罪”のような良心の痛みに負けたくない心情のようにも見える。
「孝秋が、働いている鉄工場で一人で喋っているシーンは、司祭に罪を告白するキリスト教の告解のようなイメージ。免罪符というか、自分の大義名分を組み立てるシーンにしたかった。人というのは、生きていくために“きちんとずるい”ところを、みんな持っているのではないかな。そういう“きちんとずるい”を、ちょっとひねくれて使い続けていると、真実って分かりずらくなり自分でも過去を捻じ曲げていることがきっとあるな思います」。
身内の交通事故死の悲しみから立ち直る中で練られてきた映画「誰かの花」。本作は、監督自身の心情の軌跡とも重ねられてきたのだろう。「大事な人を失った悲しみとか、喪失感を持った人に救いの形というか心の置き場所を見つける。僕以外の人にもそういう風になったらいいなと客観的になってきました」という。本作で孝秋に見え始めてきた心の置き場所は、観る者にどのように響くのだろうか。
映画「誰かの花」(115分、配給:ガチンコ・フィルム)は、1月29日[金]よりユーロスペースほか全国順次公開される。 公式webサイトURL http://g-film.net/somebody/