ティモシー・ケラー著『センターチャーチ バランスのとれた福音中心のミニストリー』(いのちのことば社)に関する連載、第3回は「文化」の視点で南野浩則氏(福音聖書神学校教務)。

前回までは以下から
新連載 福音広がる『センターチャーチ』① 宣教は深い自己理解と生き方から 評・篠原基章 2023年02月26日号
福音広がる『センターチャーチ』② 開拓は既存教会のためにも必要 評・播義也(アジアン・アクセス・ナショナル・ディレクター)2023年03月05日号

 

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ケラーは本書の神学的な議論の一つとして文化を挙げています(34頁)。実際に第5部で教会と文化との関わりを丁寧に扱っています。

「文化」という言葉は、一般的に言って、大きく分けて二つの使い方がされます。第一に、この世界や社会を作り出している価値観や構えという意味があります。それを広義の文化と呼んで良いでしょう。 第二に、芸術や音楽といった個々の文化活動を指すことがあります。これは狭義の文化と言えます。本書が扱う文化は前者の広義の意味であり、この世界を支えている土台としての文化と教会との関係のあり方を議論しています。

 

文化に対応する四つのモデル

ケラーは、教会が文化に対してどのような考え方をしてきたのか、この課題をチャートを用いて四つのモデルから説き起こします。そのチャートは、縦軸に一般恩恵に対する重視・軽視の度合いを置き、横軸に文化に対する関与への積極性・消極性の度合いを置きます。そこで作り出された四つの範疇(ちゅう)に各モデルを配置して議論を進めていきます。

四つのモデルは各々「変革主義」「関連重視」「対抗文化主義」「二王国論」と名付けられ、一般恩恵としての文化への評価の違い、また広義の文化に対する実際的な働きかけの違いによって各モデルの特徴が表れているとされています。

それぞれのモデルの詳細は本書を読んでいただくしかありませんが、各モデルの主張や問題点が簡潔にまとめられており、理解を深めやすく記述されています。ケラーは意識的に慎重になって偏りなく各モデルについて説明しようと試みます。そして、これらのモデルを単純に調和・統合させようとはしません。むしろ、各モデルの特徴をそのまま生かして、文化と教会との具体的な関係性に適用すべきことを訴えます。

文化への信頼と相対化

ケラーは文化に対して中庸な姿勢を示しています。この世界の文化としての価値観は教会にとって無視できるものではありません。そのような意味で、本書には文化に対する一種の信頼を見出すことができます。実際、このようなスタンスがなければ、本書で文化について議論をすることさえなかったでしょう。ただその一方で、文化が福音とは相容(い)れない性格を持っていることを意識し、文化を理想化することを拒絶します。

このようなケラーの議論とも通ずることは、文化は相対的であることです。人間にとって絶対化できる文化はありません。時代や場所によって個々の文化の意義や内容は変わります。ある特定の文化はそこに住む人々には有意義であっても、他の文化に住む人々にとれば意味がないこともありえます。ある文化が絶対的とみなされることがあるならば、それを絶対化する人がたまたま存在するにすぎません。

したがって、文化に対する教会の関わり方も絶対的ではなくなります。教会が生きている自らの文化も例外なく相対化されます。福音に基づいて(福音理解のあり方についてはここでは議論できませんが)文化を評価し、神の正義と平和を文化が生きるこの世界に実現するように教会は求められます。

教会が文化に振り回されないためには、宣教への情熱と文化への冷静な洞察力が不可欠です。ケラーの文化に対する議論はその一助になります。(つづく)

2023年03月12日号   07面掲載記事)