碓井 真史 新潟青陵大学大学院教授/心理学者

現実を見つめ、祈り、希望をもって

シトシト。ザーザー。ポツポツ。6月は雨の季節。大雨災害は困りますが、雨は恵みの雨。雨が降らなければ、私たちは生きていけません。それでも、雨の日は「悪い天気」と言われます。晴れの日の方が幸福感が強い、という研究もあります。

今日は子どもとピクニックの約束。楽しみにしていたのに、あいにくの雨。ピクニックは中止です。「ピクニックに行きたいよ!」とぐずり始める子ども。さあ、あなたが親ならどうするでしょうか。「雨なんだから、仕方がないでしょ!」と子どもを怒鳴(どな)り、叱りつけるでしょうか。そんなことをすれば、子どもとのケンカですね。

どんなに子どもを愛していても、どんなに子どもを甘やかす親でも、お天気は変えられません。社長だって国会議員だって変えられません。雨は子どもの成長にとっても恵みの雨です。世の中には、どうしようもないこともあるのだと、子どもにも教えてくれます。せっかく教えてくれようとしているのに、それが親子げんかになってしまってはもったいない。

子どもを叱るのではなく、子どもと一緒に残念がりましょう。「雨でがっかりだね、お父さんもお母さんも、ピクニックに行きたかったよ。ああ、悔しい」。相手が子どもでも、泣くものと共に泣きましょう。

明日は家族でおでかけ。でも、雨の確率は60パーセント。子どもは楽しみにしていて、はしゃいでいるのに、さて、どうしましょう。「どうせ雨なんだから、はしゃいでも無駄」。そんな悲観的なことを言えば、子どもは落ち込みます。けれども、現実問題として雨の可能性は高い。

大人は、冷静に雨の準備もします。雨具を用意したり、雨天用のBプログラムを考えたり。そして私たちは、祈り心をもちます。子どもと一緒にお祈りをして、「晴れるといいね」とお話しして、笑顔でおやすみです。一晩中雨の心配をしても、明日の天気は変わらないのですから。

そして翌日、晴れればバンザイ。もし雨でも、それでも大丈夫と思えるのが成熟した大人です。雨で予定通りにはいかないけれど、それでも幸せにはなれます。良い一日を過ごすことはできるでしょう。降り注ぐ雨は、私たちの人生そのものかもしれません。

私たちは信じて祈りますが、それでも現実は厳しいこともあります。私の母が末期のガンを患ったとき、安易な慰めの言葉はむなしいだけでした。一方、現実を突きつけられるのも辛(つら)い。そんなとき力になったのは、祈り心をもった人たちでした。現実の厳しさを理解した上で、心から祈ってくれた人々です。

研究によれば、楽観的な人は幸福感をもてます。しかしそれは、何も考えない人ではありません。用心と準備はするけれど、それでも困難はあっても大丈夫と思える希望の人が、楽観的な人です。雨が降るから、美しい虹もかかるのです。

2023年06月18日号 03面掲載記事)

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