コロナ禍でこれまでの「方法」が不可能になる中、自分の「物語」を意識している人、組織、そして教会は柔軟にその「方法」を変え、その「物語」を続けていくことができるでしょう。私の教会の物語は何か。 ある教会の70年にわたる物語を本書に読む時、自らの答えも見え始めるかもしれません。教会の「年史」は懐かしい文集になりがちですが、本書は「今後の高座教会のあり方を考える手掛かり」として編集されています。ですから葛藤や痛みを伴う出来事も記され、そのため複数の委員による「複眼的・客観的」な執筆、編集がなされています。歴史を記し学ぶとはそういうことでしょう。ただそれは容易な事ではなかったでしょうから、敬意を表します。
教会形成論の理論をアメリカで学んだ者としては、それが実際に日本の教会でどう展開するのかを教えていただけ、大変興味深く拝読しました。日本にキリスト教が根付いていくには四つの自立が必要とも言われます。

自治、自給、自(らによる)伝道、そして自(らの)神学です。戦後創設された高座教会は初めから自治的性格を持ち、財政的理由からカンバーランド長老教会に移行しますが、1960年代の2代目礼拝堂献堂以降は自給的運営をなさったようです。伝道においては宣教師も1990年までいらっしゃったようですが、基本的に初期から自ら伝道なさっています。

注目すべきは、90年代までに家庭的教会、牧師中心的教会、プログラム的教会を経て教会規模が大きくなるのですが、そこで「共同牧会の苦闘」期を迎えると共に、「教会の成長とは何か」を問い、自らの神学を、教派性を大切にしつつ、そしてその結果他者にも開かれた神学を形成し、質量ともに組織的教会(メガチャーチ)になっていく、そのプロセスです。その中で、高座教会ならではの市民教会、コミュニティー・チャーチとしての物語がさらに展開します。これには単なる理論を超えた、大きな希望と励ましを受けました。
「『イエスを見つめながら』…それは、とてもとても困難なことです。…『メシアがおられる所であれば、たとえそれがどこであっても悲惨はない』というのではなく、『悲惨のある所であれば、たとえそれがどこであってもメシアがおられる』」とクラドックはヘブライ12章1、2節から説教しています。高座教会のイエスを見つめながらの歩み、「悲惨」から逃げず、しかし深い喜びと希望を持っての歩みと、それを記し分かち合って下さったことに感謝します。
(評・濱野道雄=西南学院大学神学部教授)

『イエスを見つめながら カンバーランド長老キリスト教会 高座教会七〇年史』カンバーランド長老キリスト教会高座教会編、新教出版社 2,200円税込、A5判

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