10年目の福島3・11集会で県内外から回顧と展望 圧倒的な神を信じ、共に歩む

地震、津波、原発事故を間近で経験した福島県の教会の10年はどんな歩みだったのか。原発事故が残した課題は大きいものの、それぞれの教会の働きは様々に展開されている。福島県キリスト教連絡会は3月2日に、オンラインで3・11記念集会を開催。被災と支援を経験した県内外6人の牧師が10年を振り返り今後を展望した。【高橋良知】

東日本大震災から10年

郡山市の三箇義生氏(アッセンブリー・郡山キリスト教会牧師)は、近隣の避難所支援から活動を継続してきた。13年には、県内の協力教会とビリーグラハム伝道協会の協力で伝道集会「ホープフクシマ」開催に携わった。
今年2月13日の福島沖地震によって、改めて福島第一原子力発電所の状況を意識させられた。「まだ原発事故の影響を、ふたをしておさえているような状況。原発の脅威はいつでも日常に戻ってくる。廃炉のロードマップも30~40年。まだまだ続いている。震災の経験を風化させず、かたちは変わるが、寄り添い続ける働きを続けたい」


朝岡勝氏(同盟基督・徳丸町キリスト教会牧師、日本同盟基督教団理事長)は、東京から支援を続けた立場で語った。同教団地震対策本部で震災初期から活動(『〈あの日〉以後を生きる 走りつつ、悩みつつ、祈りつつ』参照)し、その後、子ども保養支援「ふくしまホーププロジェクト」事務局長としても19年3月まで毎月福島に通った。
東京との物理的な距離がある中で考え続けている問題は、「当事者性」。福島の原発で発電された電気を東京で享受してきた事実、「福島は安全」と世界に発信して誘致した東京オリンピック・パラリンピックの是非について、問い直した。「『共に生きる』と語られてきた。そう語ってきた以上、神様に、隣人に対する責任がある。個人としても皆さんの共通の課題としても担っていきたい」


いわき市の森章氏(単立・平福音キリスト教会牧師)は、「考えたり、計画している時間もなく支援活動が始まった。神様から背中をどんと押されたような状況だった」と振り返る。
放射能に脅かされたが「『放射能を恐れるのか。全能の神が守るのを信じるか』と問われた」と振り返る。
多様な教派・文化背景から40か国のべ1万5千人が支援に訪れ、クリスチャンが一つになる実感も得た。「クリスチャンが一つになるとき、地域にインパクトがある。震災を通してイエス様以外に希望はないと思わされた。信仰者、一人の人間として問い直された」と話す。コロナ禍についても「主を恐れるならば、主が必ずなすべきこと導く」と励ました。


双葉郡大熊町を中心に複数の会堂で牧会をしていた佐藤彰氏(保守バプ・福島第一聖書バプテスト教会アドバイザー牧師)は、原発から5キロにある教会として、教会員と共に各地で避難生活を続けた。「福音の理解が変わった。命に大きい、小さいもない。生きているだけで価値がある。人生の理解も変わった。100かゼロかではない。人生はプロセスが大事。教会観が変わった。プログラムや組織ではない。原発事故で建物から追い出されたが、イエス様が生き生きと私たちの真ん中にいて旅をしている」と話した。
いわき市で会堂を建築。英会話やゴスペルなどの教室や会堂の貸し出しなどで地域の人々とかかわる。近年はレストランやゲストルーム、祈祷院も建てた。南相馬市の小高チャペルで日曜礼拝が再開。他の会堂でも戻れるかどうか期待を寄せている。


増井恵氏(同盟基督・いわきキリスト教会牧師)は2011年末から教会そばの富岡町の仮設住宅を支援し、住民ボランティア・社会福祉協議会と共に「ほっこりカフェ」を7年継続。(『原発避難者と福島に生きる』参照)。人々が公営復興住宅などに移った後も、教会を会場に、元仮設住民と「ほっこりカフェ」を続け、公営住宅などで孤独死、自死が増えている現状の中、仮設で知り合った人たちが関係をつなぐ場所として用いられている。「今や支援という関係ではなく、仲間としてかけがえのない人たちと一緒に楽しく活動している。天の御国は種をまく人のよう。すぐに見返りはなくても、たくさんの種をまいていきたい」と話した。


住吉英治氏(同盟基督・勿来キリスト福音教会牧師)8面参照
集会ではゴスペルフォークシンガーの神山みさが讃美した。集会の様子はYouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=dun-BwIJiZIで視聴できる。