2017年の記事を再掲します。

聖書信仰の確立 終わりなき宿題 激動の世界で真価問われる 〝信仰と生活の唯一の規範〟として

「聖書信仰の確立」は創刊時の標語の冒頭に掲げたように、クリスチャン新聞を創刊した動機の中でも中核を占める意識だったといえる。
敗戦後、日本の復興を霊的・精神的な面で救おうと欧米から多数の宣教師が来日した。その多くは「聖書は誤りなき神のことば」と単純に信じる保守的な聖書観を持つ、いわゆる「福音派」の立場をとっていた。

その一方で、主流派の中には、福音書に書かれているイエスの言葉の一部を後代の教会の信仰を反映した加筆と考え、「歴史のイエス」と「信仰のキリスト」を分けて捉えるような高等批評による聖書観が浸透してきていた。

福音派のリーダーたちはそうした実情を憂慮し、1959年に日本プロテスタント宣教100周年を祝うにあたり、主流派の記念式典とは別に「日本宣教百周年記念聖書信仰運動大会」を開催した。それを契機に翌60年、志を同じくする人々を糾合して日本プロテスタント聖書信仰同盟(JPC)が結成される。

聖書信仰運動が
もたらした余波

JPCは聖書信仰の重要性について、セミナーや出版、機関紙などを通じて啓発活動を展開した。その中で、口語訳聖書の翻訳がイエス・キリストの神性を曖昧にしているとの危機感から、聖書翻訳特別委員会が設けられ、原典に忠実な別の翻訳の必要が訴えられた。この動きが新改訳聖書(新約1965年、旧新約1970年発刊)の刊行につながった。

クリスチャン新聞は、こうした時代の空気に呼応するかたちで、当時の主流派を中心としたキリスト新聞とは別に「聖書信仰・福音主義に立つニュースメディアが必要」との機運が高まり、いのちのことば社発行の定期刊行物として1967年に創刊された。

「福音派」の大連合

5月発行の最初の紙面を見ると、同年10月のビリー・グラハム国際大会に向け協力体制が拡大しているというトップ記事に福音宣教への強い熱意がにじむとともに、日本福音連盟(JEF)とJPC、福音主義に立つ宣教師2団体(後に日本福音宣教師団=JEMA=に統合)の4者が福音派諸団体の大連合を目指して会談をした記事が載っている。

この動きから、68年に日本の聖書信仰・福音派を代表する機関として日本福音同盟(JEA)が創立された。そして70年には、福音主義信仰に立つ牧師・神学者らによって、日本福音主義神学会が創立される。

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後にJEAは、日本の聖書信仰・福音主義に立つ諸教会を代表する機関として、よりふさわしい形を求めて、86年に再編・再創立されることになる。そして世界福音同盟(当時WEF、後にWEA)、アジア福音同盟(EFA、後にAEA)に加盟し、世界の福音派との交流を深めるとともに、飢餓や貧困、差別、迫害など、世界の社会と教会が抱えている諸課題に関わっていくことになる。

クリスチャン新聞は、こうした各時代の「福音派」の大きな転換・飛躍と、それに伴う多様なテーマに焦点を当て、伝えてきた。

包括的福音理解で
社会の事象に対峙

この「聖書信仰の確立」という意識は、ただ神学的・聖書学的な面だけにとどまらなかった。創刊時の1960年代後半から70年代にかけては、盛んに靖国神社国家護持法案が国会に提出されるなど、戦前の国家神道体制に戻そうとする復古的な動きが活発化する。紙面はそれを大きな危機感をもって伝えている。そこには、そのような日本社会の問題が信教の自由の危機、聖書信仰の危機としても捉えられている。

靖国神社や伊勢神宮の復権にまつわる記事などに関連して、それが単に社会・政治の課題というだけでなく、日本人の精神性ひいては日本人クリスチャンにも根深く存在する「内なる天皇制」の課題であるという、より本質的な問題意識もかなり早い時期から表明されている。

これは後に、90年代から2000年代に深刻化する教育現場の「日の丸・君が代」強制や、「国旗国歌法」制定などの動向を重く扱う問題意識にもつながっていく。

「キリスト者の社会的責任」を福音的な信仰理解の中に明確に位置づけたローザンヌ誓約が、包括的福音(ホーリスティック・ゴスペル)という福音理解をもって世界の教会と福音宣教に大きなインパクトを与えるのは74年の第1回ローザンヌ世界宣教会議においてである。だがそれと相前後して、日本でも40年以上前から、社会の危機的な事象の中で苦闘してきた教会とキリスト者は、「聖書信仰」「福音信仰」を、ホーリスティックな視野で捉えてきたことがうかがえる。

それは信教の自由に関連する事柄だけではない。ベトナム戦争や70年日米安保を機に大学紛争が激化し、やがて連合赤軍事件のような左翼運動の過激化といった騒然とした社会の中で、あるいは高度経済成長に伴う拝金主義、物質万能主義など様々な世相や社会現象の中で、記者たちは出来事の現場から聖書に基づく価値観や人生観を問いかけていく。

激動の世界と関わる
和解と平和の福音

そのようなクリスチャン新聞の紙面は、当然、日本の「福音派」の問題意識や空気と呼応している。第1回ローザンヌ世界宣教会議と同じ74年、ローザンヌ会議に先立ってその中心人物であるジョン・ストット氏を主講師に迎え、JEAの主催により京都で日本伝道会議が開催された。

同会議は、宣教の課題や達成を目指す具体的な方策や戦略などと並んで、信教の自由など社会との関わりにも目を向けた。宣教の課題とともに社会のあり方、福音の理解を包括的に論ずる傾向は、82年の第2回(京都)、91年の第3回(塩原)、2000年の第4回(沖縄)、09年の第5回(札幌)、そして16年の第6回(神戸)と回を重ねるにつれて深められ、掘り下げられてきた。

途中80年代には、「聖書は誤りなき神のことば」というその「誤りない」とは何を意味するのか、その理解の範囲やあるべき姿をめぐって「無誤性論争」が盛んに展開され、その結果、一口に「聖書信仰」といっても多様な捉え方があることが浮き彫りとなった。

その間に世界は、ベトナム戦争や湾岸戦争、イラク戦争、パレスチナ紛争など各地で絶えない戦争や地域紛争、共産圏の崩壊、南アフリカのアパルトヘイト廃止、イスラム原理主義の増大と迫害やテロの激化など、激動の渦にもまれた。その中にあって、それぞれの地域の教会とキリスト者は、聖書の福音をもってそのただ中で「世」と関わってきた。

中には南アやルワンダの福音派のように、その福音理解の歪みによって社会の差別体制や虐殺にまで加担してしまった例もあれば、和解のために協同するパレスチナ・イスラエルのキリスト者、民族紛争のただ中でイスラム教徒の難民を支援した旧ユーゴスラビアの福音派など、「和解の福音」「平和の福音」を生きようと奮闘してきた地の塩の証しもある。クリスチャン新聞の紙面は、そうした激動する世界と聖書の福音の関わりをつぶさに捉えてきた。

「聖書信仰」は書斎の机の上ではなく、「実際生活の指針」や「宣教のビジョン」とも関わり合いながら、世界のただ中でその真価を問われてきたのである。「聖書は誤りなき神のことば」と信じる聖書信仰は、同時にそれを「信仰と生活の唯一の規範」として生きるものだからだ。

「聖書信仰」とは何か|それは「福音の再発見」「ニューパースペクティブ」など様々な時代の問題提起によって、今なお吟味されつつ問われ続けているテーマである。「聖書信仰の確立」は終わりのない宿題なのだろう。【根田祥一】

50周年記念関連記事リストはこちら→ クリスチャン新聞50周年記念号記事を再掲載

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クリスチャン新聞は、1967年5月にそれまで月刊で発行されていた『福音ジャーナル』を母体に創刊し、日曜礼拝を中心とするクリスチャンの生活サイクルに合わせ、同年11月からは週刊で発行してきました。

50周年を迎えた2017年には、4回の特集、2回の記念集会を実施しました。改めてこの50余年の報道の歴史を通して、戦後の諸教会の宣教の一端をご覧いただければ幸いです。

※毎週火曜、土曜に本オンラインで掲載します

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