連載〝紅の百年”と日中宣教の今後④終 共に宣教を担い、共に歩みたい 松谷嘩介さん(金城学院大学宗教主事)
共に宣教を担い、共に歩みたい 連載〝紅の百年”と日中宣教の今後④終 松谷嘩介さん(金城学院大学宗教主事)
中国共産党成立100年を迎え、中国共産党と教会、日本の関係を振り返る連載最終回。第一回で戦中戦後について聞いた松谷嘩介さん(金城学院大学宗教主事)に、近年の状況を聞いた。編訳著『香港の民主化運動と信教の自由』(教文館=写真=)を刊行し、「香港を覚えての祈祷会」(2面参照)のメンバーでもある。香港を含めた日中宣教の今後も語った。【高橋良知】
第一回→ 戦前から日本の教会は関与 松谷嘩介さん(金城学院大学宗教主事)
第二回→ 宣教の恩恵とたくましさに学ぶ 寄稿 中村敏(新潟聖書学院教師)
第三回→ 信仰がなくならないように祈って 寄稿 守部喜雅(クリスチャン新聞顧問)
§ §
「分水嶺は1989年の天安門事件」と言う。「改革開放政策があって、80年代は、中国がいちばん民主的だった時代だと言われる。研究者も西洋思想を通して、キリスト教に触れ、『キリスト教熱』と呼ばれる雰囲気があった。そのような時代に政治改革も議論され、89年の民主化運動につながった。天安門事件で民主化が挫折し、中国共産党に対する失望が広がると、拝金主義や他宗教に向かう人もいたが、キリスト教に希望をもった人も多かった」と述べた。
もう一つの変化として2000年代の高度経済成長期を挙げた。「取り締まりはあったが一定の開放性があり、公認教会の三自愛国教会も非公認の家の教会も伸びた。香港の人々は、1997年の中国返還まで戦々恐々としたが、2003年のSARS流行後には中国政府の経済支援を受け、08年北京オリンピックを経て、中国人としてのアイデンティティーが高まった。一国二制度も守られ、『中国人としてやっていけるのでは』と、キリスト教会も危機意識はなくなっていました」
転機は習近平政権になってから。「一党独裁というよりも個人崇拝に近い権力集中が起きた。家の教会の著名な牧師が逮捕されるだけでなく、三自愛国教会に対する締め付けも強まり、急激に自由な空間がせばまった」と振り返る。
ただ「暗黒一色ではない」と語る。「戦時中の日本による占領時代もそうだが、個々の人物を見ていくとたくましい。戦時中は『自立しないといけない』と信徒の信仰が鍛えられた。50年代には70~100万人のクリスチャンがいたと言われるが、60年代から70年代にかけての文化大革命での迫害を経て、80年代には300万人になっていた。自由な空間は表向きはなくなっても、内面の自由、家庭や個人の祈りの自由は生きていた」と指摘した。
「今の香港の状況も似てきており、編訳著『香港の民主化運動と信教の自由』では危機の側面も打ち出しているが、それでキリスト教が終わりだとか、信仰が無くなるということではない。確かに楽観できないし、今の社会状況のままで良いわけではない。しかし日本の教会は中国大陸や香港の教会に同情して終わるのでなく、そのような状況下で、むしろ祈り、伝道し、牧会に当たっている彼の地の人たちから学びたい。少なくとも私自身が中国大陸や香港の教会から多く教えられ、信仰を励まされた。それを日本の教会で分かち合いたい」と話した。
注意点として、「日本の政治問題を持ち上げるネタに利用ないように注意したい。同質の問題は確かにあるが、それぞれに異なるコンテキストがある」と述べた。
「重要なことは交流」と強調する。「個人的な友がいたり、現地に行った経験があることは大きい。『喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣』(新共同訳)くというところにまで関係を深めていきたい」。なぜ日本の教会が中国大陸や香港の教会にかかわるべきなのか、それを分かりやすく日本の教会に伝えることに課題を覚えている。「特にプロテスタントでは、日本の教会、中国の教会、といったように国単位で教会がまとまった経緯があり、ともすると国内で完結できてしまう。それは公同の教会として不健全だし、もったいない」と語った。
ただ「香港を覚えての祈祷会」には「予想以上に多くの人が協力してくださった」という実感がある。「今まで個別に関心をもっていた人たちが香港のことをきっかけにいっしょに祈りの場に集えた。その恵みがある」と話す。
一方で「二極化」も感じている。「地域教会では、普段の教会生活でアジアとのかかわりはほとんど話題にならない。海外留学、研修に行く牧師も昔よりも減っている実感がある。海外との交わりが一つ一つの教会の信仰や伝道牧会にリンクするか。重荷に感じるような特別なこととしてではなく、普段の教会の伝道や会議のプランの中で話題に上ってくるような仕組みが必要になります」
戦中の1930年代、戦後の50年代に交わされた日中の教会の宣教協力の覚書に注目している。「今それを覚えている人もいないし、履行する動きもない。日中の教会組織も戦後変わった。しかしあえてこれらの文章を取り上げて、『かつてこのように祈り願っていた人たちがいた。もう一度交流しよう』と呼びかけたい。今は、交通や通信、翻訳ツールも発達している。交流しない理由はない。コロナ禍が収まったら、牧師や青年たちで中国大陸や香港を訪ねたい。一方通行ではなく、中国大陸や香港の人々の訪問を受け入れることもできれば。援助するという関係ではなく、祈り、交わりを深め、一緒に宣教を担い、一緒に歩むという動きになればと願います」。(連載終わり)