再建と地域の魂への思い 私の3.11~10年目の証し 第四部仙台での一週間⑧

前回まで

序 いわきから関東、再び仙台へ

①東北を祈る中で震災に直面

②通信困難な中、安否確認

③忍耐の一週間と支援の開始

④仙台から陸前高田へ

⑤陸前高田唯一の教会

⑥津波は教会堂手前まで

⑦震災前からの困窮/会堂流出の現場

東日本大震災発生後、仙台市宮城野区沿岸で教会堂流出を経験した内藤智裕牧師(つばめさわキリスト教会[旧シーサイドバイブルチャペル])は車で避難する中、田んぼの向こうに津波の先端が見えた(前回参照)。

 

2011年3月11日

内藤さんは「これはヤバいと思った。実際に『ヤバイ、ヤバイ』と言いながら、車をUターンし、元の道に戻った。消防車が、『車を置いて逃げてください』と言っていたが、そこは自分の判断で、そのまま内陸に向けて走った」と振り返る。
からくも津波から逃れ、仙台市太白区区役所で一夜を過ごした。その後親戚の家や避難所で過ごし、新たにアパートを借りて住むことができた。

 

 3月23日

仙台福音自由教会の沿岸救援チームの門谷信愛希さん(当時同教会副牧師、現古川福音自由教会牧師)や兵庫県のクライストコミュニティの大橋謙一牧師らのチームは、シーサイドバイブルチャペル跡地で内藤さんと鉢合わせた。この日内藤さんと同行していたグループとクライストコミュニティのメンバーは顔なじみだった。「一同驚くと同時に、主の不思議な摂理を感じました。皆で輪になって祈り、主の教会の再建を願った」と門谷さんは振り返る。
その後、仙台福音自由教会のチームは宮城野区の仙台愛の教会にも寄り、教会前の小学校に支援物資を降ろし、この日の活動を終えた。

 

 3月27日以降

シーサイドバイブルチャペルは震災後2回礼拝を休んだが、アパートの7畳間で3月27日に礼拝を再開した。その後支援で各地のクリスチャンが訪れ、部屋の入り口までいっぱいになった。

旧会堂はコンクリートの土台だけが残ったが、高さ4メートルほどの十字架の塔は、十字架部分が取れたものの、45度ほど傾斜して残っていた。「その塔は震災の前年11月に建てたばかり。私が曲りなりに設計したが、大工さんが、私の設計通りではなく、土台部分を大きくしたので、それが幸いして流出を免れたのでしょう。4月になってから、何かの役に立つと考え、その塔の先端に白い十字架を取り付け、ボランティアの方々とともに敷地の中央辺りに移動して再建(一時的に)しました」

国内外の支援を受けて、しばらくは元喫茶店を借りて礼拝を続けた。高台の燕沢に土地を取得し、16年に新会堂を建設した。内藤さんは旧会堂と現会堂のほぼ中間にできた集団移転地に住む。旧会堂付近は業務系用地として整備され、海岸付近には高い堤防が出来た。

「私の場合は、自発的な支援活動というものはほとんどしなかった。ただ、支援活動に来られる方々の中継基地として、お手伝いさせていただいたくらい。それも幅広くではなく、元の教会があった地域の方々が住んでおられた二か所の仮設住宅だった。大きい方が100世帯、小さい方は30世帯。今、その方々と同じ集団移転地に住んでいる。二か所の仮設住宅集会室で、合計20回くらいのコンサートをした。16年ころから、今度は、集団移転地内の公民館で5~6回のコンサートをした。コロナ渦になってからはコンサートなどは全くできなくなりました」

「いつも心の底にあったことは、キリストの体なる教会としての使命」だと言う。「そこから外れたら無意味になると、いつも思っていた。もちろん、当時、例えば、教会外の施設でコンサートなどをする場合、あまりに直接的に伝道するとかえってつまずききになるということもよく聞いていたので、そのさじ加減は大事だと思っていました」

次世代に伝えたいことをこう語る。「震災後、あちらこちらで震災の記憶を忘れないために被災した小学校などの建物を震災直後当時のまま保存するということをしている。また、『語り部』と言われる方々が震災当時の出来事を伝えている。身の安全を守るために、震災の記憶を残しておくことは、ある程度意味のあることだと思う。しかし、キリスト者にとっては、そこで終わってはならず、まず、たましいの安全を確保することが優先されなければなりません」

最近地域を再認識した出来事があった。「集団移転地で、あちらこちらに菓子パンが投げられるという事件が起きた。その出来事があって、私は、自分が住む町のために祈るようになった。その町に、しばらくぶりでトラクト配布をした。配布 を終えて歩いていると、町内会長の奥さんに出会い、事件のその後を聞いた。事件を起こした人を特定でき、その人は自分の住む地域から、別の場所にカラスをおびき寄せるためにそうしたとのこと。動機が悪質でないので安心したが、結果的に私が地域の人々に対して無関心であってはいけないということに気づかされたのでした。(つづく)【高橋良知】

連載各部のリンク

第一部 3組4人にインタビュー(全8回   1月3・10合併号から3月14日号)
第二部 震災で主に出会った  (全4回   3月21日号から4月11日号)
第三部 いわきでの一週間   (全16回 4月25日号から8月22日号)