【フォーカス・オン】教会の持続可能性① 無牧教会の牧師招聘 リニューアル第1号特集
無牧の期間を経て、牧師招聘に至った教会の事例をみていきたい。
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ある地方の政令指定都市にあるA教会は、戦後アメリカからの宣教師によって開拓され、10年ほど後には日本人の牧師に委ねられて教会形成が行われてきた。ある教団には属しているものの、各個教会主義を基本とする群れで、牧師の招聘は各教会に委ねられていたが、1990年代までに複数の牧師が着任。比較的円滑に牧師交代が行われていた。2000年を過ぎて、当時の牧師が辞任を表明。牧師招聘委員会が組織されることになった。当時委員を務めた教会員は語る。
「次の牧師はすぐに決まるだろうと思っていたんです。先生に新しいビジョンが示されたということでしたから、その話も詳しく聞き、それならば神様の働きなんだから、喜んで送り出そうと、その時は本心で考えていました。
もちろん、新しい牧師は、待っていればやってくるわけではないとはわかっていましたが、それまでも必要な時に牧師が与えられるのを見てきましたし、私にとっては初めての招聘(しょうへい)委員でしたが、今度も大丈夫だろうと。
確かに、地方の教会では牧師のいない教会が増えているということも、耳にはしていました。でもここは、それほど大きくないとはいえ、政令指定都市です。しかも教会は町なかの便利な場所にありますから、牧師給はそこそこでも、関心を持ってくれる人は少なくないだろうと、踏んでいました」
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委員会としては、招聘のための呼びかけを教会員にし、そのための祈祷会も定期的に持つようになった。対外的には、関係のある神学校に新規卒業者を推薦してもらうように依頼し、親交のある牧師たちにも祈ってもらうように伝えた。あとは話が来るのを待つだけ。
しかし、神学校からの応募はなかった。それでも他に牧会経験のある複数の候補者が起こされ、一人は礼拝に招いて説教してもらうところまできた。しかし、教会が結論を出す前に、先方から辞退された。結局、辞任の期限までに新しい牧師を迎えることはできなかった。
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当然その後は無牧状態になる。必要なのは毎週の礼拝説教者を立てることだった。神学校の教師や伝道団体にも協力を依頼し、説教に来てもらった。ここでも前任の牧師に負ったところが多いと言う。「神学校への推薦依頼や、関係のある牧師に後任を探していることを伝えるにしても、ほとんどはその牧師が在任中にしてくれていたんです。信徒にできることは、本当に限られていたと思います」
礼拝説教者も、各方面に依頼しても、すべての週を埋められるわけではなかったが、その時は古参の役員が立って、礼拝で奨励をした。「そういう信徒が教会にいてくれることは、本当に心強いですね。かなり前の時期には、教会でコアの信徒向けに神学の学びもやっていたらしいのですが、それは決して特定の人だけのことではなく、教会全体が歴代の牧師に鍛えられていたような気はします」
「どんな牧師も支えていこう」
無牧期間に入って間もなく、礼拝後に牧師招聘について信徒が集まって話をしたことがあった。大抵そういう時は、どんな牧師に来てほしいかに話が集まるのだが、「その時もやはり、年齢の話とか、青年伝道をやってほしいとか、色々な話が出たんです。すると、これも古くからいる信徒が、『新しく来る牧師に対しては、いろいろな希望や注文をつけてしまうけれども、その人も私たちを見ているはず。私たちがまず、その牧師に選んでもらえるような教会にならなければいけない』という意味のことを言ったんです。こういう人がいてくださることは、教会の強みだと思います」
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誰も候補が現れないまま時間は過ぎていったが、その時期に教団から経験のある牧師に来てもらって、招聘について懇談の時を持った。何か具体的な話が出た訳ではなかったが、その時に語られたアドバイスは、「たとえ複数の候補が現れたとしても、その人たちを天秤にかけるようなことは、決してしてはいけない。一人の候補に絞って、祈り、話し合い、教会としてその人との結論が出てから、必要なら他の人を祈り始めるように」。
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そうして一人の候補が与えられた。やはり神学校からの新卒者ではなく、祈ってくれるよう依頼していた牧師からの紹介だった。役員との面談、礼拝での複数回の説教奉仕、教会員との懇談、踏むべきステップを踏んで、最終的に教会総会で招聘を決定した。前任の牧師が辞任してから2年が過ぎていた。
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「牧師探しに関して信徒としてできることはほとんどなかったです。本当に祈るしかなかった。むしろ牧師のいない間、教会を守るためには頑張ったと思います。日曜日以外の場所で、ケアを必要としている信徒もいますから。そういうことを積極的に担ってくださる方も、信徒の中にいらっしゃいました。新しい牧師を受け入れるにあたっては、何が決め手になったのか。説教を聞いて特別ピンと来た、ということは、私はありませんでした。誠実な印象は受けましたけど、他の教会員もそのあたりは同じようなものでしょうか。その方が卒業された神学校がこの教会ともつながりのあるところだったのは、やはり安心材料でした。あとはこちらの心構えとして、どんな牧師が来ても、信徒として誠実に支えていこうという気持ちは、少なくとも役員は全員持っていたと思います」
牧師の招聘について、OCC無牧ミニストリーズのコーディネーターを務め、修士論文「無牧の教会に対するサポートシステムの構築」により学位を取得した栗﨑路(あゆみ)氏(単立・幸町キリスト教会牧師)は、かつて本紙の取材に対して次のように語っていた。「無牧教会の中には、そもそもどのようにして牧師を招聘するか、知識も経験もノウハウも持っていないところが少なからずあるのです。とにかく牧師が来てくれればいい、という教会も」
「牧師のいない教会の問題は、説教者がいないことで、礼拝が持てない、群れが養われない、ということだと思いますが、牧師を立てるということは、その問題を解決する一つの手段です。たとえ牧師が与えられても、その教会できちんと『牧会』できなければ、問題は解決しません」「一方で、牧師がいなくなっても信徒リーダーがいれば教会は存続すると思わされています」(2019年11月24日号)
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確かにこの教会の場合、牧師のいない期間は外部から説教者を招き、必要ならば信徒が奨励を行って、礼拝を守ってきた。信徒のケアも、役員がリーダーシップを取る形で行ってきた。教会は持続していたと言える。
それでも、である。この教会が牧師を求めたように、多くの教会は、信徒は、やはり自分の教会(だけ)の牧師を求めている。しかし、一教会に一人の牧師が不可能な状況が生じている現状では、牧師を招くことができない場合、どのような方策を取りうるのか。兼牧、合併、オンライン、信徒牧会…。教会が持続していくための取り組みをさらに探っていく。(関連記事)
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「教会の持続可能性」に関しては、次は6月に掲載を予定しています。つきましては、このテーマに関するご意見・情報を読者の方々から広く募集します。フォーカス・オン・アンケートまたは、cs-edit@wlpm.or.jpまで。
次回の「フォーカス・オン」は、「LGBTQ―性的少数者と教会(仮称)」をテーマに、5月22日号に掲載予定です。
(クリスチャン新聞web版掲載記事)