本書は冒頭で「こども」が置かれた虐待という悲惨な現状を私たちに提示し、この悲惨な現実に神はいかに向き合っているのかという神論の議論に向き合わせる。そこに立ち現れる神は、私たちが思い描く全知全能の神の姿ではなく、弱く、無力で無知な「こども」の姿をとった神である。

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著者はこの弱く、無力で無知な神を描き出すことで、人間の歴史に通史的に顕在する力と権力によって支配される世界とは正反対の世界観を描き出す。著者は、その正反対の世界観の中で、力と権力を志向する世界に、抗(あらが)いつつ生き、受難の死を遂げたイエスの中に、もっとも小さき者である虐げられた「こども」の姿を見つつ、その姿の中に、神とキリストの姿を見、更に人間が本来ある姿の「神のかたち」が成長した「神の似像(にすがた)」となった成熟したキリスト者の姿を見ている。だからこそイエスは、「神の国はこどものような者の国である」と言い、「こども」を神の国に招くのである。

[レビュー2]成功でなく「成熟した信仰」のための組織神学 『キリスト教神学とは何か』評・中村敏=新潟聖書学院前院長

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本書は、教義学的内容を持つ書であるが、同時に、家父長的な男性中心主義に基づく支配と抑圧の構造を持つ社会に対する痛烈な批判と反省を促す書である。また、神をこの世界を支配する全知全能の神として捉え、そこから「罪の赦し」を主題として構築された従来の神学に対する批判と反省を促す書でもある。
そのためには、フェミニズム的二項構造ではなく、大人と「こども」の二項構造で捉える「こどもの神学」が必要である。なぜなら、フェミニズム神学は、知性のもとで繰り広げられる成熟した大人間の論争であって、真の力と権力による支配構造は大人と無力な「こども」の間にあるからである。「こども」は大人に対して圧倒的に、弱く、無力
で力のない存在である。

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著者は、この「こどもの神学」を通して、我々キリスト者自身が力と権力を志向する者となっていないかと鋭く問いつつ、我々キリスト者が真に目指すべき姿を、本書を通して丁寧に描き出している。
評・濱和弘=日本ホーリネス教団小金井福音キリスト教会・相模原キリスト教会牧師

『こどもの神学 神を「こども」として考える』
李信建著、朴昌洙訳 ヨベル社 1,980円税込、四六判

 

 

 

D6すべての世代から学んで AEA子ども委・ロザリオ氏、玉川聖学院・安藤氏が講演

連載「祈り」つなぐ~JCE7各集会から③ 日本的家族観をこえて 「次世代育成検討」「ファミリーミニストリー」

 

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