キリスト者は政治を通して何を目指すか。
7月の参議院選前後には、「政治と宗教」の関係も問われている。

公共神学を提唱し続ける稲垣久和氏(東京基督教大学名誉教授)は「キリスト者が政治の世界に進出すればいいということではない。私的な信仰の延長の議論では、いま急浮上してきた日本のカルト批判に巻き込まれていく可能性が強い。また時局的問題の議論ではお互いの背景を丁寧に説明しないとクリスチャンどうしの感情的な分裂をもたらす。隣人愛の実践として、公共圏において異質な他者と協働し、実質的な政策を話し合う成熟が求められる」と話す。
稲垣氏に今回の参院選と今後の日本社会の構想、それに向けたキリスト者の在り方について聞いた。【高橋良知】

-参議院選挙を通して見えてきた日本の政局とはどのようなものでしたでしょうか。

今回の参院選は与党(自民党・公明党)圧勝であったが、得票率としては与党(46%)よりも野党の方が多く(54%)、しかも与党は前回得票率 48 % から むしろ減らしている。にもかかわらず野党第一党の立憲民主党は 15.8%から15.3%と減らし、日本維新の会が 7.3%から10.4%と増やしました。
(選挙結果データは「videonewscom」小林良彰氏分析https://www.youtube.com/watch?v=K4KBJO0RMzM参照)

―与党にはどんな課題があるでしょうか。

自民党そのものも安泰ではありません。日本政治は当分は自公内でのハト派的な岸田政権が続くでしょうが、次はタカ派に転ずる可能性もある。タカ派の代表だった安倍元首相が亡くなり、再編が起こるか。自民党内の権力闘争の今後の出方は分かりません。

G7 などで、岸田首相は「自由と民主主義の共通の価値観」と言いますが、日本に西欧的な自由と民主主義があるとは思えない。人々の関心は思想・信条の自由よりも経済生活への不安にあります。

例えば自民党の石破茂氏と何度か対話したことがありますが、しっかりものを考える保守派の政治家ではあります。だが自民党の派閥抗争の中では彼のような人物は沈んでしまう。『タテ社会の人間関係』(中根千枝著、講談社現代新書)にあるように、自民党内部にもタテ社会があって、コップの中のあらそいをとりまとめる親分が、日本全体の親分となる構図です。派閥の力学で、力ある派閥の長に他がついていく。正論を述べる人は干される。首相公選制のない日本では、いわば「君臣の義」や忠誠心で派閥の長が決まり、それが日本全体の首相となる。これを「自由と民主主義の価値観」と呼べるのか疑問です。

―野党の課題はどうでしょうか。

野党の課題は、市民政党といえるものがないこと。例えばヨーロッパでは緑の党ができてこれが与党に参加するまでになっています。旧民主党系(立憲民主党、国民民主党)は労働組合に頼りすぎで市民の支持が弱い。野党は新政党が出て来てバラバラになりしばらく与野党の交代は望めなくなりました。

労組にも様々あるが、旧民主系の基盤の「連合」(日本労働組合総連合会)は大企業の労組の票を集めます。連合自体は、市民との共闘と言うが、なかなか成功しない。私は諸協同組合や労働組合(友愛会)を日本で推進した賀川豊彦にちなんだ「賀川豊彦シンポジウム」を企画してきましたが、友愛会の伝統の入っているはずの「連合」には歯がゆかった。

格差社会で派遣社員など保障の弱い非正規労働者も労働者人口全体の4割を占める。もっと市民と密着した政策を推し進めないと難しい。日本では二大政党の展望は暗い。いろんな主張をする野党ができて、野党連合どころでない。多くの国民はどこに投票していいかわからない。昔の小沢一郎のように、よほどのリーダーシップがないと巨大与党に対抗できないが、今はそれはほとんど望めません。

今回票を伸ばした日本維新の会は当初、地方政党大阪維新の会として、中央に対抗する対立軸を持ってきて、最初の頃は意味があったように思います。ただ中央政党としての日本維新の会を組織して躍進させ、国政、国際関係も扱うようになり、ある意味、自民党よりも右派的な面をみせました。防衛政策がこれから国会の現場でどのように出てくるか。中央集権、東京一極集中的状況を打破する提案がされているが、経済政策では、新自由主義的な方向が強かった。今回の参議院選では、社会保障の提案や、議員の公給を減らす「身を切る」改革などを打ち出しました。これからどこに向かうかまだ見えてこないところがあります。

―東京一極集中や新自由主義経済の課題とは何でしょうか。

第二次安倍内閣で、「地方創生」の法律が制定されたにもかかわらず、全体的に新自由主義路線の中で、地方創生より東京一極集中が進みました。政治的自由と経済的自由主義は意味が異なります。私は一市民として、羽田空港の国際線を増便する「羽田都心ルート問題」に取り組んできましたが、これこそ東京一極集中の象徴といえます。東京オリンピックもごり押しで開催し、小池百合子都知事は、「東京をロンドン、ニューヨークと並ぶ国際金融都市にしたい」と語ったのもその方向性でした。統合型リゾートとして、カジノを誘致しようという動きもありました。これはモラルとしてもゆるしがたい資本主義の方向だ。カジノ構想は現在も大阪では議論されています。

グローバルに自由貿易を推進する新自由主義の流れがあるが、もっと地域を自立させる、分散型の経済政策が重要だと私は考えます。これからの経済の在り方として、地域ごとに産業起こしをし、できるだけ地産地消で、みなが食べていけるようにすることが大事です。新自由主義は、地産地消および地域の自治とは逆のシステムです。今回のウクライナの小麦輸出の件でも明らかですが、食糧が自給できない国は餓えるということになってしまう。安全保障の面からもシステムの転換が必要です。

―自由と民主主義という問題がありましたが、キリスト者はこのことをどう考えていけるでしょうか。

キリスト者としては、民主主義の根本のところから考える姿勢がないといけません。単なる心情倫理をぶつけるだけではまずい。フェイスブックなどSNSは有用なコミュニケーションの道具ではあるが、言いたいことを言うだけで、対面で議論する対話の姿勢を弱める傾向も助長している。ちゃんと議論、対話できる能力をもたないといけません。これは教育しかありません。
選挙の時に、「クリスチャンに票を入れました」だけでは表層的なレベルに止まります。たしかに現在の日本の選挙システムでは、どこかの党に入らないと資金的にも選挙戦を勝ち抜けない難しさがある。自民党だろうと、維新の会だろうと、本人の真意は何なのか、じっくり対話してみないと分かりません。

―安倍元首相の射殺と統一協会の問題を契機に、「宗教と政治」ということが注目をあびました。

私は単に個人的な救済だけを目的とするのではなく、社会、世界をキリスト教世界観でしっかり見ていくことが大事だと考えています。政治も例外ではありません。「政教分離」というのは、内面的信仰と政治を分けるものではなく、政治と宗教を制度的に分離させるものです。

個人が信仰に基づいて発言し議論をすることはもちろん大事です。『公共福祉とキリスト教』『改憲問題とキリスト教』(教文館)でも説明しましたが、ヨーロッパのキリスト教民主党には成熟した歴史があります。日本の場合は、創価学会を支持基盤にする公明党が宗教政党として、与党、国家の一角をしめ、蓄積を重ねました。

日本のキリスト教は、公共的な神学の基盤もなく、政党を作る段階ですらない。信仰者が信仰的な誠意をもって出馬することはとても重要なのですが、賛成する側も反対する側もそのような信仰が聖書的な世界観と公共神学による熟議を経る必要があります。それなしに時局的なレベルのことを、SNSなどで発言していくことは、よほどしっかりと議論しない限りはキリスト教内での感情的分裂を招き、ポピュリズムを増長させることになってしまう。そうすると、いま急浮上してきた日本のカルト批判に巻き込まれていく可能性が強いので注意が必要です。

―どのような政治的議論が必要でしょうか

日本国憲法の国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という三大原則は動かしがたいものとして広く理解されています。ただし、自衛隊明記について、改憲推進派は「平和主義を守るため」と言うでしょう。国民主権についても、政権側は「我々は選挙で選ばれた政権担当者であり、国民主権もたもたれている」と言うでしょう。基本的人権についても、「ひとりひとり尊重し、人権が保障されている」と言うでしょう。

だから、実質的な議論がないままムード的に「改憲の方向だから危ない」と言うだけでは今の流れに抗することはできません。国民主権、基本的人権、平和主義とは何か、ちゃんと対面で熟議して深めていかないといけない。民主主義は熟議が根本。それが、日本の中で、しっかり定着しているかどうかです。

―現政権の「憲法違反」についても言及されています。

基本的人権で言えば、実際は現政権下で、女性、外国人の権利を守っているとは思えません。特に私がかかわってきた福祉一つとっても生活保護が打ち切られる状況を見てきました。2017年に、森友・加計学園問題を審議するための臨時国会召集要求に政府が応じなかったのは憲法53条違反でしょう。

もっとも問題として実感しているのは、憲法8章の地方自治。95条の「住民投票」が、お飾りになっている。『日本型新自由主義の破綻』(稲垣久和・土田修共著、春秋社)でも言及しましたが、私が市民運動としてかかわった「羽田都心ルート」問題で痛いほど感じました。東京オリンピック開催決定と並行して、羽田空港に国際線を増便し、都心で低空飛行することが国交省によって決定されました。本来関係自治体の住民投票で是非を問うべきではなかったか。地域地域で民主主義はつくられるものです。沖縄辺野古新基地建設埋め立て問題では、住民投票がされたが政府は無視しました。憲法が形だけあっても内実がない。それが日本の民主主義の実態です。

与野党の政権交代がされれば、このような問題は露わにされるが、それが見込めない。政権はあたかも「憲法を守ってます」という態度を貫き、論争にもならない。そのあたり、細かく言っていかないと民主主義の議論になりません。

―民主主義をどのように深めていけるでしょうか

国民主権は選挙に行くことだけではありません。私は、①行政、②市場、③協同組合などの相互扶助、④家族・教会(宗教団体)からなる「四セクター論」を提示している。それぞれの領域に神から主権が信託されているとする、オランダの神学者アブラハム・カイパーの「領域主権論」の発展版です。

新約聖書ローマ13章では、上に立つ権威を認めており、聖書的にも歴史的にもキリスト教は、権力装置としての国家は認めてきました。一方で宗教改革後、西側諸国では、権力の分散があり、教会と国家の分離もなされた。教会は市場とも分離し、それぞれに領域主権があり、それぞれの主権性を互いに侵犯してはいけない。今の日本では①②の結託による公共圏への侵犯が著しい。主権の意味については『「働くこと」の哲学 ディーセント・ワークとは何か』(明石書店)に詳しく書きました。こういったことも、ちゃんと議論しないと民主主義は深まらない。「クリスチャンだから支持する」「憲法9条改正の方向だから危ない」と言うだけではなく、まず民主主義の根幹は何かという問題を議論しないといけない。さらに政治は経済とも切り離せなくなっている。政治経済政策をもきちっと哲学的、公共神学的に議論しないとあまり生産的にはなりません。

ただそのような議論は一朝一夕にやれることではありません。結局小学校からの教育にかかっています。スウェーデンの小学校の社会科の教科書が翻訳されていますが、いろんな政治テーマを子どもたち自身が議論する。そういうところから民主主義が養われます。日本でも日曜学校、フリースクールでもいい。教会が民主主義を大切だと思うなら、狭義の信仰教育以外にきちっとそういう教育をしていかなければ次世代は育ちません。

―まだまだ日本では民主主義が育つのに時間がかかりそうですね。

政治について勉強するグループがいくつか作られ、少しずつ違うところから、対話的に議論することが大事です。「公共圏」と言いますが、異質な他者との対話の大切さです。SNSで一人一人が発言できるようになり、言いたいことを言うのは良いのですが、ポピュリズムと民主主義が紙一重です。検証されない話がはびこる中、ある程度編集者や、調整できる人がいて、大いに議論する場をつくるメディアが重要な役割をもちます。

個人主義を乗り越える考えとして、賀川豊彦は晩年に協同主義を深めました。私も「創発民主主義」を社会哲学者のハーバーマスの熟議民主主義の延長として提唱しています。これも『「働くこと」の哲学』で細かく書きましたが、ハーバーマスは自由主義と国民主権を熟議によって調整する議論を蓄積しています。これから日本で様々な政治的課題が議論されるとき、「専門家でないと難しい」とは言っていられません。憲法の三大原則について、保守もリベラルも「賛成」と言うでしょうが中身が違う。それを熟議する。基本的には対話。そうでないと暴力の悲劇になる。

―『キリスト教と近代の迷宮』(稲垣久和・大澤真幸共著、春秋社)でも議論されていましたが、民主主義の在り方として、ヨーロッパと、アメリカでは違いがあるようですね。

個人と政府だけでなく、教会、市民グループ、協同組合といった中間団体が機能する「コーポラティズム」が、ヨーロッパの民主主義の基本です。アメリカでも、もともと中間団体が機能していましたが、今は個人主義が中心になっています。どちらも個人が尊重された上でのことでありますが、アメリカでは中間団体が担うべきモラルの問題を、いきなり政府に求める現象が起きています。

日本国憲法でも21条で結社の自由が保障されますが、「結社」の英訳がアソシエーション。これが単に自由権だけでなく経済活動を担う。協同組合や小さなコミュニティーということができます。このアソシエーションがヨーロッパの憲法ではより中心的です。これが歯止めになって、新自由主義への抵抗はまだある方です。アメリカの場合、協同組合が20世紀の間につぶれてしまった。いくつかの構造的な違いがそれぞれの民主主義の中にあります。

―しっかりと政治を考えるためには、歴史、神学、社会構造など様々学ぶべきことがありそうです。何度も著作が言及されましたが、改めてお勧めいただけますか。

最近の本で『キリスト教と近代の迷宮』(2018)『神の国と世界の回復 キリスト教の公共的使命』(教文館、2018)『「働くこと」の哲学』(2019)、『日本型新自由主義の破綻』(2020)から、公共哲学、公共神学、創発民主主義、新自由主義に対抗する地産地消の経済哲学などを理解いただけると思います。

重要なことは、個人主義的な救済論だけではなく、神と被造物の関係、エコロジーも含む「創造と和解論」によって神学を再編成することです。異質な他者といったとき、現実的に、イスラム教、仏教、マルクス主義、日本主義の人々も入る。そのような人々との対話が必要な時代に、キリスト教内の親密圏だけで語られてきた神学ではもはや難しいのではないでしょうか。

―ありがとうございました。

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☆シンポ「地域社会と協同労働~みんなで創り上げる『公共圏』」 福島県いわき市2022年7月25日

 

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