石巻南浜津波復興祈念公園横の砂利が敷き詰められた土地を耕し、有機的な農園を再構成した保良雄作品

「利他と流動性」をテーマに、宮城県石巻市を会場にした、国際芸術祭リボーンアート・フェスティバル21-22(以下RAF)の後期日程(10月2日まで)が開幕した。昨年の前期日程に続くものだ。

 

今回は、市街地や牡鹿半島ほか、石巻南浜津波復興祈念公園付近でも展示があり、内容も昨年以上に東日本大震災を意識させるものとなっていた。また「利他」のテーマにこめられる「人間は大きな自然の一部」という視点も多くの作品に反映された。世界的に気候変動、エネルギー問題、さらに戦争、といった危機的状況が意識される中、アーティストたちは、時代と地域に向き合い作品制作をした。

 

これらのテーマは、近年聖書から読み直された「被造物共同体」というあり方にもつながる。「利他」にまつわるテーマを深めつつ、石巻の被災現場、そこに立つ作品群についてみていこう。

(昨年の前期開催に関しては「“利他”を再生する想像力の祝祭 石巻リボーンアート・フェスティバル」https://xn--pckuay0l6a7c1910dfvzb.com/?p=33055にまとめた)

 

 

渡波エリアに展示される、保の作品。岩塩に垂れる滴と照らされる光が、悠久の時間を感じさせる。牡鹿半島特産のクジラの骨も配置される

 

復興記念公園北側で津波に耐えた石蔵に展示される風間サチコの作品。延々と続く防潮堤で遮られた東松島町や福島県沿岸の風景をロール紙に描く

 

石巻への応援歌をユーモアあふれるタッチで表現した笹岡由梨子作品

 

「利他」をめぐる考察、その後 -「他力」から「愛」に

 

「利他」というテーマは、震災支援、環境危機、コロナ禍という中で様々に展開されている。

 

昨年の記事で紹介した『「利他」とは何か』(集英社、2021)執筆陣のうち、中島岳氏や若松英輔氏らは、さらに自著で議論を深めている。

 

中島氏は利他的行為について「与える側ともらう側」の上下関係ができることに警戒し、「思わず」やってしまう「他力的」な利他行為に注目した。『思いがけず利他』(ミシマ社、2021)では、「人間が行う利他的行為は、この他力が宿ったときに行われるものです。意思的な力(=自力)を超えてオートマティカルに行われる」と言う。それゆえ災害ボランティアらは「何か考える前に身体が反応する」。

さらに「利他が起動するのは『与えるとき』ではなく『受け取るとき』」とも言う。受け取り手が「利他」を認識するには、その場だけではなく、何年も先になる場合があり、事前にコントロールできないものとした。

思いがけずにやってくる「利他」ではあるが、若松氏は「利他を行うには少し準備が必要」と言う。

『はじめての利他学』(NHK出版、2022)で、日本の前近代の思想と西洋の思想から「利他」とその実践のための「道」を紹介する。

日本における「利他」の用例のはじめは、空海の「自利利他」にさかのぼる。若松氏は「日本における『利他』の本質とは、自分と他者が深くつながること」と言う。そして、利他の土台となるものとして、仏教の「菩提心」、儒教の「仁」を挙げ、さらに聖書や西洋の思想も踏まえ、「古今東西を問わず、『利他』が生まれるためには『愛』のちからが必要であるといえそう」と言う。

エーリッヒ・フロムの「愛は技術(アート)」と言う言葉を考察して、「単に頭で知るだけでなく、生きることによって鍛錬していかなければならない」、「愛の鍛錬は、まず自分を愛するところから」始まる、と述べる。

さらに「真の意味の『愛』があるとき、そこに在るものはすべて等しくなる」と表現するのは、キリスト教信徒である若松氏ならではの表現だ。

 

 

今回RAFがテーマブックとする『A sense of Rita小林武史 対談集』(ap bank、2021)では、RAF主催の一般社団法人「ap bank」代表で、音楽プロデューサー小林武史氏が「利他」について、環境活動家、料理家、科学者、哲学者、政治家、芸術家など15人と対話する。

 

今回「利他」に注目した理由として小林氏は、「震災から十年になろうとしていますが、あの時というのは日本中に利他の気持ちがすごく蘇ったシーンだったように感じています。あれから十年後にコロナになっていて、改めて『利己』と『利他』がつながって感じられますよね。だから必要なのは『利他のセンス』」と言う。

 

また自身の環境への取り組みを踏まえ、「自由競争の中でずっとボリュームを上げていくと、利己が爆発してくるじゃないですか。想像力の中で地球や全体から『個』を見てみるというようなことが必要だと思う」と述べる。

 

「スチュワードシップ」をこえ

 

小林氏との対談の中で環境ジャーナリストの枝廣淳子氏は、欧米の環境倫理の根拠となっている「スチュワードシップ」への違和感について、「人間は地を支配している、人間が自然の世話をする、もしくは人間が自然を支配しているんだから自然を傷つけてもいいというメンタリティに結びついている」と述べた。「『人間は自然の一部だ』という思想は、東洋から西洋へもっと強く発信しないといけない」と主張する。

 

実際この問題は、近年聖書学や思想史の観点から見直されている問題でもある。

 

 

『聖書とエコロジー 創られたものすべての共同体を再発見する』(いのちのことば社、2022)で聖書学者のリチャード・ボウカム氏は、人間中心主義的なスチュワードシップに関して、「創世記のテクストをハイジャックして、科学的知識とテクノロジーによる搾取というプロジェクトにお墨付きを与えたのは十七世紀のフランシスコ・ベーコン」と指摘する。

さらに人間と他の被造物とは相互依存関係にあり、「人間を含む神の被造物の共同体」であるという視点を聖書全体から明らかにした。

それは「スチュワードシップのような一つの言葉で容易に要約できるものではない」と言う。「そこには最も根源的で深い意味で、人間は他の被造物の中の一つの存在なのだ、ということが含意され」、「人間の生存や繁栄のために地球の資源を利用する権利には限度がある、ということが含まれ」、「他の生物を世話する責任を要求しますが、それは神ご自身の被造物への配慮を反映するのであって、奪い取るものではない」。

 

自然環境に向き合うキリスト者が取り組むべきゴールとして「和解」を示す。「神との和解と、神が創造した他の被造物との和解とは、どちらかを選べるものではなく、手を携えて成し遂げられるもの」であり、「現在の危機にある世界にあってはどちらも差し迫った必要」があるという。

環境との和解は壮大なプロジェクトであるが、「キリストにある万物の和解というゴールの途上で、私たち自身がキリストにあって和解させていただいた」ことが希望になる。

それは若松氏が言うにように、「真の愛」の前で、一人ひとり等しい存在であることを知ることと通じるだろう。「愛」を知った存在が、被造物全体を含む「他者」へ目を向けるためには、「愛の技術(アート)」を鍛錬することが必要になる。環境、震災の記憶、地域再生といった公共的なテーマに向き合い、協働する芸術祭の試みも、愛の鍛錬の1つとつなるだろう。

 

東北で芸術に向き合う

 

芸術祭の意義としては、小林氏は対談の中で「震災でダメージを受けた場所や地域にこそ命の手触りだったり、命のてがかりみたいなものを、アートや食とともに見出していける」と述べる。

日本を代表する音楽プロデューサーである小林氏が、「音楽にはコマーシャリズムだったり、ある種のポピュリズムだったり、方向性を付けていって、みんなを一つに束ねていくような力は強いけれども、一方でその危うさみたいなものを感じていました」と語る言葉には重みがある。

 

一方「アートの場合は、作品の前で何に出会うのかということに全く決め事もない」と話し、各地の地域国際芸術祭の先行例をもとに、地域との関係性ができることに期待する。

 

特にRAFは、観光や産業の推進、といった短期的な生産・消費活動にとどまらない、持続可能な社会、地球環境へ向けた視座が見られた。

さらに作品がどのような環境下、文脈に置かれているか、いくつかの作品を見ていこう。

 

震災の記憶、自然との相互関係

 

震災遺構門脇小学校

石巻市では、この数年相次いで復興祈念公園や震災遺構などが整備された。

(祈念公園や遺構について、「新連載 石巻の新しいこと ー序ー 2つの「川」 東日本大震災から10年」https://xn--pckuay0l6a7c1910dfvzb.com/?p=34476も参照)。

 

RAFの作品のいくつかはこれらと同じ空間にある。特に今年開館した石巻市震災遺構門脇小学校は、災害と命に思いをはせる詩的な空間となっていて、RAFのキュレーターからも絶賛されていた。

 

海に面した遺構の元校長室
展示室入口では、被災地の言葉をくみ取った詩の言葉が、来館者に語りかける

海側の「遺構」では津波の激流を受けた教室、職員室などが保存されている。日和山側の「展示室」では、震災時の状況やその後が言葉や映像で伝えられる。

展示室入口では、様々な立場の人々の思いが、詩の言葉にされ、見る者に問いかける。「生きているのは人間だけじゃないよね…」「想像してみてください 音が分からないと…」「人間の恐ろしさを感じたのも確かです…」「復興とはそう単純なことではないのです…」

 

さらに展示室では、学校生活や日頃の避難訓練の取り組みがうかがえる遺物が展示され、震災と避難の経過を振り返る体験者の言葉や映像、児童、教職員らの証言が丁寧にくみ取られていた。終盤には、ソファーが並んだ部屋で、静かに展示を振り返ることができる「心をほどく」という空間を設ける配慮もあった。

全体のメッセ―ジの中には、「人間もまた自然の一部」として過去の教訓に学ぶとともに、震災の記憶に、「みなさんの人生をそっと重ね、生きるとは何かを考えるきっかけ」にしてほしいという願いが込められていた。

 

弓指作品は、絵日記風の絵画や文章が立体化され、内容を追体験できる

門脇小での体験と合わせて、鑑賞したいのは、市街地の元生魚店で展示されている弓指寛治と朝吹真理子が共同制作した作品だ。

まず門脇小の用務員などの視点で震災直後から避難生活の様子が、立体的な絵日記のように配置され、追体験できる。さらに漁港のまち石巻、牡鹿半島のクジラ、魚に寄生する微生物にまで視点は移る。「海の生態を脅かす人間、一方人間の命を脅かす微生物。単にどちらが悪いということでなく、影響し合っていることを示した」と弓指はいう。

みやぎ東日本大震災津波伝承館のガラス壁面に描かれた弓指寛治作品。背後に津波被害地跡の復興祈念公園が見える

弓指は海岸の伝承館のガラス壁面に、森を描き、祈念公園の単調な風景に、未来の希望を示している。

川俣正作品。まちを照らす灯台建設を目指している

川俣正は津波でなぎ倒された平坦な場所に、灯台を建てるプロジェクトを計画している。

今回は地元業者と協力して木組みの灯台下部部分を建設した。らせん状の建造物は、ブリューゲルの「バベルの塔」を連想させなくもないが、しっかり組まれた木材は生命力を感じさせ、「まちを照らす灯台」として希望や祈りのメッセージが込められている。

建造物内部に「サンファン号」の廃材が

ちなみに、この建造物内部に腰掛け用に並べられた木材は、惜しまれつつも今年春までに解体された、キリシタンゆかりの「サンファン号」復元船の廃材だった。今後どのような再生のメッセージを発信できるか興味深い場所である。

(「サンファン号」については「サンファン号保存運動急浮上 『4分の1では伝わらない』」https://xn--pckuay0l6a7c1910dfvzb.com/?p=32891を参照)

 

ほかにも防潮堤や水をテーマにした作品、アジアの若手作家が各国の自然観を紹介した作品、牡鹿半島の自然と一体化した作品など、多様な作品を鑑賞できる。音楽やトーク、地元の食材や生物に触れるイベントなども催される。

 

石巻市は、牡鹿半島を中心に、人口減少、後継者不足などの地方課題をかかえる。感性を揺さぶる芸術作品を鑑賞し、津波の傷跡が残る街並み、その中でのまち起こしの取り組み、なども見つめながら、日本、世界の諸課題に気づくことができるだろう。

 

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