1998年08月16日号 ヤンシー氏初来日

2017年創刊50周年記念関連記事を再掲します。

①創刊50周年を迎えて 聖書を土台とした多様性を 編集長 髙橋昌彦

②〈聖書信仰の確立〉終わりなき宿題 激動の世界で真価問われる 〝信仰と生活の唯一の規範〟として

③〈宣教のビジョン〉時代を反映 大挙伝道から多様な宣教へ 世界の転換に伴う変化も映して

④〈実際生活の指針〉メディア環境を変えながら 多様な生き方、ステージへ対応

★⑤共産圏・中国内外で教会は? 「竹のカーテン」の中で進む宣教追う

「胎児のいのち」守る活動追い 小さないのちを守る会

⑦連載から名画紹介図書へ バイブル アンド アート ミニストリーズ 生活のあらゆる領域に神の主権を

⑧「靖国国家護持」問題と今 西川重則さん(平和遺族会代表)

⑨「困っている時に世話を」 三谷六郎さん(キングス・ガーデン創設者)

⑩クリスチャン新聞創刊50周年記念礼拝で吉持氏 福音派諸教会の目、耳、口

⑪聖書の真理に立つ情報インフラとして▷小さな開拓教会を覚え祈ってもらえる喜びが▷キリスト教的視座を養い、決断を迫る存在 各界からの声①

50周年記念関連記事リストはこちら→ クリスチャン新聞50周年記念号記事を再掲載

 

言葉の力 米クリスチャンジャーナリスト フィリップ・ヤンシー

 私は作家として30年間活動してきました。言葉を扱うということは一筋縄ではいかず、常に私の手をすり抜けていく言葉を、願わくば最もふさわしい言葉を捕まえようと、網を持って追い掛け回していたようなものです。言葉がつくり出す作品はとても脆いものです。画家が使う色や、彫刻家が使う3次元の空間に比べて、言葉は五感に直接訴えるものではなく、識字能力があって初めて体験できるものです。しかし、一度それを体得すれば、自分とは異なる他者とつながる回路を見出すことができるのです。そして、時としてそれは時空をも超えます。

レバノンを旅した時、一人の婦人に出会いました。彼女は第5次中東戦争の時、私の著書『神に失望した時』を防空壕の中で、ローソクの灯を頼りに読んだと言います。爆撃で街が崩壊しようとする最中、私がシカゴのアパートで書いた言葉が、彼女に何がしかの慰めをもたらしたと聞いた時、言葉にできないほど厳粛な思いにさせられました。

神様はご自身の本質を私たちに示されたとき、それを言葉、ロゴスと呼びました。その言葉は考えうる限り最も自由で栄誉ある方法でやって来ました。だからこそ、神様は私たちにも言葉をもって語りかけるのです。見える形でその姿を現すことなどほとんどなく、偶像やイメージの中に現れることなど決してありません。

目に見えるイメージはあまりにも強烈です。一方、書かれた言葉は、それを読む者との間に十分な距離を生み出し、その言葉が何を言わんとするのか、言わばその入口を観察する余裕を読者に与えます。もちろん私たちはイメージだらけの世の中に生きています。至る所に音と映像はあふれかえり、数秒ごとに切り替わる画面に私たちは振り回されています。しかし、書かれたものを読む時、読者はそのペースや、頁を繰る早さも自由ですし、立ち止まってしばし考えることもできます。読みたくなければ頁を閉じればいいのです。

私の書くものは、すべての人に受け入れられるわけではありません。ある人には慰めとなり、ある人には傷みとなります。誰であれ、ものを書くときにはその人の色があり、その色の中でしか書くことができないからです。それはその人に与えられた賜物であるとも言えます。私たちは、神様に似せて創造されました。神様は私たちに投資してくださったのです。私たちにできることは、その投資に対するほんのわずかの利子をお返しすることだけです。一人一人に与えられた賜物をきちんと用い、私たちが表現する言葉が持つ、驚くべき力を正しく管理することが私たちには求められているのです。

クリスチャン新聞創刊50周年、主に感謝いたします。変動の多いこの世の中で、受け取る人の見解は異なっても、主は生きておられること、裁きではなく愛と赦しの神であることを、伝えていっていただきたい。それこそ、人々が真に求めているものではないでしょうか。

2002年12月01日号 集会で戒能氏

キリスト教界全体が退潮 その向こう側への展望期待 日本基督教団千代田教会牧師 元・教団宣教研究所室長 戒能信生

 1972年にディーン・M・ケリーがその挑戦的な問題提起の書『なぜ保守的な教会は成長しているのか』(Why Conservative Churches are Growing)を刊行した。この研究は、それまでともすれば印象によってのみ語られていたアメリカの保守的な教会の教勢伸張と、それに比較してリベラルな教会の教勢低下傾向を、60年以降の各教派の詳細な教勢分析によって明らかにしたものだった。

 

ケリーが挙げる保守的な教派とは、南バプテスト教会、アッセンブリー・オブ・ゴッド教団、ペンテコステ派、およびホーリネス系の諸教派であり、リベラルな教派とは、メソジスト教会、聖公会、合同長老教会、そしてルター派教会などである。すなわち、アメリカ合衆国において、60年代まで主流派であり、かつ多数派であったリベラル派諸教会の教勢が退潮し、それに代わって保守的・福音派の諸教派が増進している現状を分析したものであった。

 

その原因として、ケリーはそれぞれの教派の神学的特質から説明している。すなわち、保守的な教会は、その絶対的・排他的な信仰の遵守と生活倫理の厳格主義によって、リベラルな教会は、その宗教的寛容さと神学的多元主義、相対主義が、それぞれの教勢の伸張と減退の背景にあるとした。この指摘が当を得ているかどうかは別として、そのようなアメリカ教会の傾向は、確かに日本の教会にも当てはまるところがあった。事実、「クリスチャン新聞」が創刊された1967年前後から、福音派系諸教派の伸張は目を見張るものがあった。それは日本基督教団の教勢退潮と明らかに対照的であった。

そして70年代の半ば頃から、それまで福音派の教会では御法度? とされていた聖書学的なアプローチ、教会の戦争責任の問題、そしてヤスクニ問題への取り組み等に福音派の教会が熱心に取り組むようになった。「クリスチャン新聞」の80年代、90年代のバックナンバーでその傾向を確認することができるだろう。私自身も様々な現場で「クリスチャン新聞」の取材を受けることが増えてきた。

しかし90年代半ば以降、この国において日本基督教団をはじめとするNCC加盟の諸教派も、福音派系の諸教派も、そしてカトリック教会も含めて、キリスト教界全体が退潮し、教勢不振に喘いでいると見られている。その理由として既に様々な問題が指摘されているが、私自身は、「罪とその赦し」の福音(=贖罪信仰?)が現在の若者たちに容易に伝わっていかないことを実感してきた。

福音派系諸教派の実際への綿密な取材から、「クリスチャン新聞」にこの事態の向こう側への展望を期待したい。

2008年02月10日号 座談会で小山氏

「受けの良さ」を追求するとわなが待っている 岐阜純福音教会主任牧師 日本リバイバル同盟委員長 小山大三

 クリスチャン新聞創刊50周年おめでとうございます。戦後日本のキリスト教会に対する情報発信紙として、諸教会の健全な成長と交わりのためにクリスチャン新聞が長年にわたり貢献されたことは、誰もが認めるところだと思います。

様々なムーブメントが来ては去る中で、情報の確かさと健全さを絶えず精査し、提供すべき情報を種々選択することは、時に勇気のいることであったと思います。50年の歳月の中で今日の信頼を勝ち得て来られたことは、これまで新聞発行に携わって来られた方々の主に在る祈りと努力の結晶であると思います。
さて、提言に関することですが、これまでも追求して来られた事柄であり新しいことではありませんが、新聞発行に携わる事業者として、一般的に以下の4つのことが引き続き求められていると思います。

 

①クリスチャンメディアとしての職業モラルに立ち、客観的、公正的報道に徹する。②メディアに携わる者としての責任感を持ち、調査をきちんと行い、事実関係を追求する。③クリスチャンとして自身の信仰および一般的知識を深めて整理し、記者としての技能を強化する努力をする。④題材を発掘し、ストーリーをまとめ、報道を面白くする。

 

以上の①~③までは、誰もが異論のないところだと思います。
④については、今の時代にあって努力せざるを得ないのですが、実は大きな危険をはらんでいて、細心の注意を払うべき事柄だと思います。メディア媒体の変革と進歩の著しい現代社会にあって、多くの新聞社が従来の紙媒体からの変革を求められ、生存をかけた大きな岐路に立っているからです。

クリスチャン新聞においても、電子版などでの対応を余儀なくされています。若者の新聞離れが進み、10代、20代、30代の若い世代は、新聞をほとんど読まなくなり、情報を得る手段としてインターネットを利用している傾向が浮かび上がっています。

そのような中で、クリスチャンメディアが「客観報道と建徳」という原則から逸脱し、営利を目的に「受けが良い」面白い報道を志向する傾向が強まることが、危惧すべきことだと考えます。メディアが単に「受けが良い」面白い報道を目指すようになると、様々な過ちを犯し得るのではないかと心配します。

本来の使命を忘れ、「受けの良さ」面白さを追求するようになれば、センセーショナリズム(扇情主義)、ポピュリズム(大衆迎合主義)、ステレオタイプ(固定化したイメージ)のわなが待っています。

50周年記念関連記事リストはこちら→ クリスチャン新聞50周年記念号記事を再掲載

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クリスチャン新聞は、1967年5月にそれまで月刊で発行されていた『福音ジャーナル』を母体に創刊し、日曜礼拝を中心とするクリスチャンの生活サイクルに合わせ、同年11月からは週刊で発行してきました。

50周年を迎えた2017年には、4回の特集、2回の記念集会を実施しました。改めてこの50余年の報道の歴史を通して、戦後の諸教会の宣教の一端をご覧いただければ幸いです。

※毎週火曜、土曜に本オンラインで掲載します

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